■傀儡王 - 01「聖別」


「コロセウム」

歴史書に依れば、それは王国史における「時代転換の儀式」として語られている。

地にはびこる、空に満ちる、海をたゆたう「力」の群れ。
連綿と続く龍脈を、人々は「タイド」と呼び、その恩寵によって繁栄してきた。
それが真実、どのようなものか知る由もなく。

コロセウムとは、その「恩寵」に最も愛された者を選別するための儀式だ。

天地龍脈に愛された者は、万夫不当の勇将となり、次代百年の王を継ぐ。
王を定めるための儀礼的闘争。「その部分」に偽りはない。

王国史とは即ち、「教団」の歴史でもある。
王国の中枢に喰い込むように栄え、その統制を兼任し、王の傍らに、常に「教皇」と呼ばれる権威者を置いた宗教的組織。
今代に「月の教団」と呼ばれた彼らこそ、この大陸中央における「真の支配者」だった。

さて、コロセウムの「実態」とは、この教団によって執り行われる、
最もタイドの操りに長ける者を見出すための儀式だ。

教団の秘奥が持つ「神にも等しい力」を振るわせるため、
その「腕(かいな)」を見出すための、いわば「蟲毒」であった。

そして「傀儡王」と呼ばれた拳士ルーセントは、
最も新しいコロセウムによって見出された当代の王である。

彼は、世界に死の風を運び、ヒトの半数以上を殺し、
今、その残りに手をかけようとする者である。

月の暗君。ヒトの天敵。史上最も邪悪な王。

もしも人類がこの危機を乗り越え、
歴史が、この先にも轍を敷いて進むのだとすれば。

彼の悪名もまた永遠に、
語り継がれていくのだろう。

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それは、彼の腕の中で息を引き取った。
両の掌からこぼれていく「それ」の命を。
彼は、声を挙げることも忘れて、
ただ茫然と見つめるばかりだった。

絶対に助ける、と。
一緒に世界を旅しよう、と。

紡いだ約束が解けて、
銀の亜麻糸のようにして地に落ちていく。

教団が「生体CPU」あるいは「マニピュレーター」と呼んでいた少女は、
コロセウムを勝ち抜き、王宮へのアクセス権を得たルーセントによって、
生命維持装置から出されたことで程なく死亡した。

ルーセントと彼女の出会いこそが、全てのはじまりだったのだろう。
しかしそれを語る術はもうないし、語る必要もない。
あまりにもありきたりな、ある種のテンプレートに沿った粗末な悲劇だ。

その物語が幸福な結末を迎えられなかった理由は、
「不運だったから」という他にない。

あの旅人、ガウがルーセントを説得できていれば、
こうはならなかっただろう。

あの戦士、テリーがルーセントを負かしていれば、
こうはならなかっただろう。

あの学徒、ドロシーが教団の嘘を看破できていれば、
こうはならなかっただろう。

あの狩人、ウィルが教団の秘奥を解き明かしていれば、
こうはならなかっただろう。

あの猟犬、エレインがルーセントを殺していれば、
こうはならなかっただろう。

しかしルーセントは勝った。
純心のままに全てを打倒し、彼女の下に辿り着いてしまった。
教団の被造物に過ぎなかった己に芽生えた感情を、
その産まれを同じくする彼女との、在りし日の約束を守るために。

しかし、この悲劇において真に不運だったのは、
マニピュレーターの死によって、大きく「変容」してしまった世界の住人たち、犠牲者たちの方こそだ。
真に不幸だったのは、そうして失われた「ヒトの半分」だ。

「タイド」とは、星海より堕ちた異界の遺物である「王宮」…教団内部においては、
「斜陽の塔」と呼ばれる施設が生産し続けている、微細な環境改善機械の群れだ。

これと同期し、操る者がマニピュレーターであり、
少女は、教団が長年に渡る研鑽によって産み出した、世界にたった一人のマニピュレーターだった。

少女が死に、統制を失ったタイドは、世界に満ち溢れていった。
自らを複製し続け、そのバランスを欠いていった。

エスティアのタイドは人の獣性を高め、自然環境との適合を促進する。
ディエクスのタイドは人の経験を捏造し、百年の技をその手に移植する。
アイエンティのタイドは人に知識を賜らせ、「異界の歴史」そのものを再現する。

限度を失ったそれらは大気に満ち、
ヒトの容量など度外視して、彼らに襲い掛かった。

結果として、タイドを律する能力に長けた者は生き残り、
そうでないものは死んだ。

中央大陸に生息するヒト560万体のうち、
およそ300万体が、一日から一週間をかけて衰弱死した。

この出来事を指して「大変容」と呼ぶ。

コロセウムを勝ち抜いた、次代百年の王。

その輝ける功業の第一は、
ヒトのおよそ半数を死に至らしめ、タイドによく適合する者のみを生かすという―――、

「聖別」だった。