カーリー・クリシュニー


プロフィール

――キュープラムの識者

気だるげな雰囲気を隠そうともしない、日陰の学徒巫女。
昼夜逆転、不養生、血行不良が甚だしく、目元のクマが絶えない。

先史文化のひとつである『漫画』に関する大量の知識を持ち、学院から「それらすべてをデータベースに遺すこと」を使命として与えられたが、人生を賭しても到底為し得ないであろう作業量に辟易し、『自分の漫画』を描くため、14歳の若さで単身アイエンティを出奔した。

旅の道中で商人に拾われ、ザントファルツの巫女寮に入居。すぐにパトロンを得て執筆活動を開始する。

彼女の発行した同人誌が人気を博したことから、ザントファルツにおいて『漫画』は、新しい娯楽として認知されていく。多くの創作家が彼女の後に続いて漫画家となり、週刊誌が創刊され、彼女は連載を持つことになった。

彼女の作風はやはり他のフォロワーたちとは一線を画しており「友情、努力、勝利」といった普遍的なテーマに「諸行無常、輪廻転生、超スケール」といった要素を加えた、神話的なものが多い。

代表作は「王子シリーズ」と呼ばれるもので、砂と岩の世界を舞台に、神の化身とされる美しい少年が、啓示を受けて悪伐の旅に出る…というあらすじである。

ほとんどの場合において、主人公とその兄弟、あるいは親友、宿敵との間に同性愛的な心理が描写されていることが特徴。

最初の長編連載として「王の行伏記(全11巻)」
同じ世界観を持った第二の長編として「紅き太陽と五人の王子(現6巻)」を連載中。

STORY

少女カーリーは生き下手だ。

炎天下のザントファルツ、その目抜き通り。
縦横に敷き詰められた露店の多くは、日用品や水、食料等を扱うものだ。
だというのに響く喧噪は「競った、張った、売った、買った」。
ゆったりとしたローブを纏い、頭にターバンを巻いた商人たちは、
木っ端な品物に対しても容赦がない。

そんな中、周囲とは明らかに異なる雰囲気の服を着た少女が一人、通りを歩いている。
その装いは、北の学院のものだろうか?

ブラウンの巻き髪を、右へ、左へ。
ボヨン、ボヨヨンと揺らしながら、自分ほどの大きさの革袋を背負って歩く、少女カーリーの姿は、滝のように流れる汗も相まって、まるで水風船かカタツムリのようである。その表情は苦悶に満ち満ちており、彼女が、ザントファルツの天候に順応できていないことの証であった。

そして、その重たい足取りが向かう先は、目抜き通りにあって最も異彩を放つ建物。ザントファルツで知らぬ者はいない"黒ヒゲの豪商"こと、アイゼンシュタイン氏の逞しい胸像がそり立つ玄関口。"巫女寮"と呼ばれる、学徒巫女たちの集合住宅であった。

カーリーの横を、数人の巫女たちがすれ違って行く。
やれ何処の花飾りが素敵だとか、
やれ其処のスイーツがうまあじだとか。
甘い談義を咲かせる彼女らは、まさにザントファルツの華と言えよう。

―――ああ無関係であるとも。
この、カーリー・クリシュニーには。

ねばついた足並みで巫女寮の玄関をくぐった先、
エントランスでカーリーを出迎えたのは、二人の学徒巫女だった。

「あら、おかえりなさい、カーリー。
 えーと、確か私は…あなたに何か、買い物をお願いしたんだったわね。」
手元のメモに視線を落としながら、白銀の髪をかき上げる巫女と、
それとは構わず、カーリーの背負う革袋に頭から飛び込んでいく虎柄の巫女だ。

「えのぐだ!?」
頓狂な声をあげた虎柄の巫女は、革袋の中から画材と思われるチューブの何本かを取り出して見せる。
白銀の巫女は、カーリーの横をするりと抜けてそれを受け取った。
そして手元のメモと見比べて少し思案した後、にこりと笑う。

「そう、これこれ。ありがとう。
 あなたのおかげで、うん、きっと何かが捗るハズね。
 お礼に写真を撮ってあげるわ。ハイチーズ。」

カーリーの肩を抱いて引き寄せ、携帯端末でツーショットの写真を撮る、
白銀の巫女の名はブリジット。

「わたしのは~? 水を頼んだのだが?
 絵の具を飲むとおなかが壊れる。清涼飲料水を頼むよ~。」

カーリーの袖をぐいぐいと引く、
虎柄の巫女の名はデイジー。

…なのだが、カーリーは、彼女らに相槌を打つことすらしない。

彼女らの身勝手な言動が終わるのを待った後、
カーリーは、ドスンと落とした革袋の中に腕を突っ込み、しばらくまさぐる。
そして、手のひらサイズの何かを取り出した。

黒のインク瓶である。

カーリー自身は、これを買いに出かけようとしたのだった。すると出頭に幾人もの巫女に絡まれ、ついでのお使いが山のように溜まり込んだ、というわけだ。

カーリーは、指先を革袋に向けたジェスチャーで、
「言われたものは全部その中にあるから、ちゃんと探せ」
ということを伝えると、返事も待たずにふらふらと、巫女寮の奥へと戻っていった。

―――それにしても、疲れた。
断れば、よかったかな。
でも、頼まれごとを断るのって、どうやるんだろう…。

そんなことを思いながら、自室のドアノブに手をかけたところで、
廊下の先から声がかかる。

「断ればよかったのに。」

読心めいたその言葉に、どきりと心臓が跳ねた。

寮長のアリシアだ。
燦々と太陽光の射し込む廊下にあって尚、宵闇のような黒髪と瞳が、
正視を躊躇わせるほどの威圧感を放っている。

「いっ、いえ。
 ものはついで…だったので…。」

「そう。ご苦労様。
 みんなには、もう少し遠慮するように言っておくよ。
 それと、あんたはもう少し、みんなに遠慮しないこと。」

猫背のカーリーと、姿勢の良いアリシア。
10cm以上の身長差も相まって、二人の年齢がひとつ違いであるようには見えない。

「あのクソヒゲだって、遠慮なくパシっていいんだからね?」

寮長の言葉に対して、カーリーはあわてて首を横に振る。
クソヒゲ…というのは恐らく、巫女寮の所有者である商人、ロムウェル・アイゼンシュタイン卿のことだろう。
彼はカーリーたちのような"流れの学徒巫女"の守護者であり、保護者でもある。父のような人物だ。

そして寮長は時折、そんな人物を対象に、とんでもなく乱暴なことを言う。
それでも本人の表情に邪気はなく、優しげだ。
もしかして、彼女なりのジョークなのだろうか。

「でっでは失礼します。」

真意を理解できぬまま、僅かに上ずった声を挙げて、カーリーは自室に滑り込んだ。

またね、と。
扉越しに聞こえた寮長の声に背中をくすぐられながら、
頼りない足取りで机に急ぐ。

渇いたインク、原稿用紙の匂いが立ち込める自室。

新たに買い足したインク瓶を机の上に置き、
カーリーはベッドに横たわった。

日差しに温められていて、心地よい。

ああ、落ち着く。
自分の匂いだ。
"丸洗いした犬"のような匂い。

己の城に戻ってきたという感覚、安堵が、
ぐらぐらと心を沸き立たせ、
そして唐突に爆発した。

「ところで、どうして他の巫女はみんないい匂いがするんだ!?」

「血液の代わりに、ミルクチョコレート的なものが通っているのか!?
 あるいは体毛が水あめで出来ているとしか考えられない!
 チクショー! 私もお菓子の国の住人として生まれたかった!

 ブリジットからは、ほのかなバニラの香り!
 デイジーは洗って干した布団のような、安心感のある匂い!
 挙句の果てに寮長からは、優しい林檎の香りがしやがる!

 どうやったらあんなかぐわしい体になるんだ!?
 林檎か!? 一日三食、林檎を喰えばいいのか!?
 部屋をエデンに改装するところからだチクショーーー!」

銛で射られたイカかタコのような動きで、
ベッドの上を跳ね回るカーリー。

彼女は生来の引っ込み思案であるがゆえ、
このように自分の部屋でしか、感情を解き放つことができないのだ。

「しかも寮長はイケメンだ…。
 あの自然な現れ方、そして労い方は、
 イケメンの星の下に生まれた選ばれし者にしか許されない。
 漫画だったら全カット見開き1ページ…。
 それにあの澄んだ声、力強すぎる瞳、髪は綺麗だし、ちょっと影もあって―――、

 ク、クソォ…! 尊すぎる…! ど、同化したい…!
 こ、殺してくれいっそ…万象流転…
 今なら寮長の娘として人間をやり直せるかもしれん…ぐ、ぐぐ…!」

客観的に見ればあまりにネガティブで、
非生産的な慟哭である。

のだが、不思議と、
カーリーはこれを、楽しんでいる節があった。

自分の中で煮立った、あまりにも原始的(プリミティヴ)な感情が、
その燃え尽きる最期に、ふと、アイディアを遺す。

カーリーはベッドから跳ね起き、机に向かった。
インク瓶の蓋を開け、転がる筆の柄(え)を掴む。

執筆中の漫画。
その最終編における展開を思いついたのだ。

主人公を尊ぶあまりに、主人公の子として転生したいという欲求を持つ。

これを主人公の好敵手たる人物の、敵対した動機にしてしまおう。
素晴らしい倒錯だ。男同士なのがさらによい。

みるみる膨らんでいく構想が、
無心のままに筆を運ばせる。

少女カーリーは生き下手だ。

しかし恐らく、
この終末の世において、

割と楽しく生きている方である。