貧民街に棄てられ、泥を啜って生きてきた路地裏の猫。
ハイネにとって幼少期のほとんどは「生まれた意味」を探す時間だった。
ところが、そんなものが最初から存在しないことを知ると、
彼は、他の貧者と同様、死ぬ瞬間までを漠然と生きる「獣」になった。
欲するのだから奪い、生きるために殺す。
無法の貧民街にあってさえ忌み嫌われた「路地裏の獣」にとって恐れるものはなく、
同様に、彼を人間として扱う者もまた、いなかった。
ハイネは、幾人もの弱者から命を取りたてた。
彼らの血肉を以て自らの命を繋ぎ、
それに何を思うこともなかった。
若者ほど容易く、老人ほど容易く。
路地裏に迷いこんだ彼らの不運を嘆くことなく、
獣は、それらから平等に命を取りたて、金に換えた。
たどたどしくも人語を解し、
ヒトの死肉を切り売りする恐るべき獣。
ハイネを駆除しようと目論んだ者のほとんどは、
彼の根本的な原理に気づくことなく、逆に彼の餌食になった。
しかし唯一、その原理に気づいて利用しようとしたのは、貧民街の小富豪であった。
彼は路地裏に入り、ハイネの姿を見るや否や、懐から数枚の銀貨を床に撒いて見せた。
粗食ならば、一ヶ月は生きていけるだけの金。
それに眼を輝かせたハイネに、富豪は語る。
「これからは私が、君に「狩りの斡旋」をしてあげよう。」
これまで通り、ハイネは人を狩る。
ただし、その対象を富豪が選ぶ。
ただそれだけのこと。
しかしその工夫が、死肉の換金効率を大きく高めた。
ハイネにとって、それは願ってもいないことだった。
富豪の敵対者を3人狩ったことで、
日に3回の食事を摂る自由が与えられた。
6人を狩ったことで、
6畳からなる東方式の、暖かい部屋が与えられた。
48人を狩ったことで、
48文字からなる文章を読み解く教育が与えられ、
ついに路地裏の獣は、本を読むことができるようになった。
そしてその夜、鼻を赤らめて、枯れない涙を流し続ける獣の姿を、
銀色に輝く月だけが見ていた。
奪うことは悪行である。
殺めることは悪徳である。
与えることは善行である。
救うことは美徳である。
ある種の誇りさえ持っていた、これまでの自分の人生が。
およそ普遍的な「ヒトの生き方」とはかけ離れたものであり、
それは到底許されるものではない、ということを、
ハイネは学んでしまったのだ。
彼は「ヒト」であることに強い拘りを持っていた。
何故ならば、「獣」は弱いからだ。
路地裏で、何匹もの鼠や犬を狩った。
彼らは、ヒトよりも体の小さなものがほとんどで、必要以上に火を恐れた。
武器を扱うこともできず、防具で身を護ることもしなかった。
敵わない相手にまで敵意を見せて威嚇し、時に注意散漫な過ちによって死んだ。
獣は、ヒトよりもはるかに「死にやすい生き物」であり、
ハイネにとって、最も唾棄すべき存在だったのだ。
だからこそ、強い「ヒト」であることはハイネにとっての命題であり、
その理想的な定義から、自らが遠く離れていたということがショックだった。
―――確かにそうだ。
先日の「狩猟」の最中、式典の場で遠巻きに見たあの人物。
白銀の髪を持つ「月の教皇」は、多くの兵に護られていた。
愛されていた。あれはきっと「死ににくい」。
一方で自分はどうだ?
日々の糧を得るため、命の比べ合いに身を投じて、
もし「ゴミ掃除」に失敗したとしても、自分を守ってくれる者などいない。
弱者だ。このままではいけない。
生きねばならない、ぼくは誰より強く、壮健に、生きねばならないのに。
ハイネの中に生じた気付き、そして焦りは、日に日に大きくなり、
やがてそれは、ヒトの自己防衛力の究極…即ち「権威」を求める野心になった。
―――自らの雇い主がそうであるように。
あの「月の教皇」がそうであるように。
「死ににくい生き物」は、常に自分以外の「安い命」によって、自分を守らせている。
それを為さしめるものこそ「権威」と呼ばれている力だ。
―――ぼくはあの路地裏で、弱者を狩りたてるのではなく、
力によって彼らを従え、彼らの壁によって自らを守るべきだったのだ。
気付いた時にはもう遅く、
彼は「獣」以外の何者でもなかった。
凍てつく月夜に、彼は模索する。
ヒトの群れの中で、重要な役割を担うためにはどうするべきか。
より「死ににくい生き物」として進化するためには、どうするべきか。
彼が好んだ絵物語の中において「聖女」の名を冠するものが、それを説いていた。
「愛し、愛され、慕い、慕われること。
謙虚に、誠実に、ヒトを信じ、信じられること。
そうすれば必ず救われる。」―――と。