■ルイゼット - 02「復讐者の素養」


「そこまでで結構です。」

獣面を温和に歪ませ、人狼は緊張を解いた。
その手から滴る血が、修練場の床にぱたぱたと落ちる。

剣の主、ルイゼットはその柄から手を放す。
両者は、僅か数秒前まで、互いの命に手を伸ばし合っていたとは思えないほど、
落ち着いた様子で対面している。

『…この試験には、何の必要性が?』

切り出したルイゼットの言はもっともだ。
傀儡王の威光の下、暴走する王国へと対抗するために組織された三国連合軍。
その末端も末端に名を加える、一兵卒に過ぎないルイゼットに対して、

「自らの首を落として見せよ」などとは、
いかに連合軍の総司令官である人狼テレンスの命令であろうと、
正気の内の言葉とは思えなかった。

テレンスは、自らの掌を深く切りつけたルイゼットの剣を握り直し、
小さく一つ振り抜く。

刃を濡らしていた血は、全て地に落ち、先鋭な血痕になる。

「あなたの剣、そして剣技を、間近で見てみたかったのです。
 なるほど…エスティアの鉄刀とは違う。ザントファルツの魔法銀によく似ていますね。
 しなやかで強靭、でありながら、薄い。
 素晴らしい業物だ。これはどなたの手によるものですか?」

刃を掴み、ルイゼットに柄を向けて返したテレンスの問いに、彼女は答えないまま剣を受け取った。

『…どうでもいいでしょう。
 それで、私の剣技は御眼鏡に適いましたか?
 でしたら私をどうぞ、あの暗君めを殺すため、王都に向かわせていただきたいのですが。』

ルイゼットは終始無表情だ。
しかし、その瞳の奥で盛る炎の色を、テレンスは見逃さずにいた。

「復讐の剣。たいへん素晴らしい素養です。
 いずれ来る機には、必ず貴女を一番槍にすると約束しましょう。」

『…それは、どうも。』

眼鏡の位置を直すため、左手で顔を覆うようにしたルイゼットの口角が歪む。

―――早く。

―――早く治(ころ)さねば。

―――早く謝罪(ころ)さねばならないのだ。

―――早く贖罪(ころ)さねばならないのに。

ところで、と。
切り出したテレンスの掌の血は既に止まっている。

「これから少しばかり、負傷兵のお見舞いに行きたいと思います。
 同行していただけますか? ルイゼット少尉。」

『それは命令ですか?
 であるなら従いますが、お願いであるなら、遠慮させてください。』

「何か予定でも?」

『…いいえ、予定などありません。
 予め定められたことなど、もう何もないんですよ、将軍。
 だから、何かする必要がない時は、何もしていたくないんです。』

「…なるほど。では命令です。
 貴女が交戦した鈍色の騎士、あれと戦って負傷した兵が目覚める頃です。
 彼から、あの騎士についての詳細を聞きたいのです。
 いずれ来る機において、あの騎士は恐らく、我々の障害となるでしょう。
 貴女が傀儡王を討ち取るためにも、彼を解析することは無駄にはなりませんよ、きっと。」

そう言って、手を伸ばした人狼の掌は大きく、
その傷は、既に塞がりかけていた。

―――化け物め。

ルイゼットは内心で毒を吐く。

今となっては、タイドに関係する全てのものがおぞましい。
自らを生かし、人を斬り結ぶための智慧と技術を授けた、
ああ、あの蒼と翠の月光が、おぞましい。

『…分かりました。命令ならば従います。
 肝心なところで戦列を外されては堪らない。』

「まさか。貴女のような戦力は、連合軍にとって非常に貴重です。
 それに、戦列を外れるように命令したところで、貴女は聞き分けないでしょう?」

『…聞き分けますよ。それが司令官であるあなたの命令なら、きっとそうした方がいい。
 そうした方が、きっと、あの王の首は落ちやすくなる。
 私は確かに、あの王の首に自らの手をかけたいと願っている。
 だけど…それは、別の誰かによって…でも構わない。
 何でもいいんです。この世界を破壊した、あの病(おう)を、治(ころ)すことさえできれば。』

死した感情を、制御できないルイゼットの手が震える。
否応なく、口元が歪んでしまう。
喜怒も哀楽も喪い、すっかり「成れ果てて」しまった医師の顔が嗤う。

その様子をテレンスは、心底から感心したように見ていた。
人狼が、それを"素養"と呼んだことは、何の比喩でもない。

あの災厄を、ただ独りで生き残った幸運。
あれが「人の手によるもの」だと直感し、崩れる心を繋ぎとめたこと。
そしてその心が、未だに火を喪わず、真っすぐに「復讐」へと向いていること。

まさに天が与えた素養。彼女こそ、きっと「王殺し」の天才である。

彼女は、放たれた矢のように。
自らの存在理由を完遂するだろう。

だからこそテレンスは、彼女が「そう長くない」ことも知っていた。
復讐が果たせなければ、彼女は死ぬだろうし、
復讐を果たした彼女は、自ら死を選び、その役割を終えるだろうから。

燃え盛る一条の矢。
その鮮烈な在り方に、毛が震えて逆立った。

―――戦士よ。

テレンスは、今この場でルイゼットを呼び止め、
再び剣を抜くように言い、
次こそは、どちらかが命尽きるまで殺し合おう、と。

告げようとした言葉を呑み込んだ。

我慢しなければならない。
この「至高の復讐鬼」の刃を受け取る資格は、羨ましくも、あの傀儡王にしかないのだから―――。