■ハイネ - 03「庭師、覇道に寄り添う」


王宮の「庭師」として任命されたハイネは、時計塔の上を住処として、そこで寝食を行った。
日に三度、暖かい食事を摂れる生活に戻ったのだ。彼にとっては「大成」とも言えるだろう。

ハイネは、自らを見つけてくれた聖女アンジェラと、その主である国王に対して、莫大な恩義を感じていた。
長らく隔絶されていたヒトの善意…のようなものを幻覚し、それに心が満たされていくのを、痛いほど快く思った。

とはいえ、彼のライフサイクル自体に変化はない。
彼は「王宮の庭」を守る衛士である。
手にした長銃を用いて、庭を荒らす不逞の輩を排斥するのが仕事だ。

そして「王宮の庭」とは何処か。
当然、王の威光が届く領域の全てである。

ハイネは職務に忠実であり、また能力もあった。
彼は教団の力をも利用して、王都中に「結界」のようなものを張った。
王に対するあらゆる不忠は、数多くの密偵を通じてハイネの耳に届く。
ハイネは彼らの生命を迅速に取り上げることで、「庭」の平穏を守り続けた。

そして、ハイネの住む「王宮」に侵入する者はいない。
眠りは、もう決して妨げられることはないのだ。
その事実が救いだった。幸福だった。自らの暗く湿った人生における「実り」を意味していた。

王の権威が、自らの命を保護してくれていることを実感する度に、
ハイネの忠誠心は増していった。
二度とこの平穏を失わないために「他の全てを失ってもいい」という覚悟が芽生えていった。

痛いほどに、快い。
快いが、しかし痛い。

これまで、ハイネの中にあり、彼を行動させていたものは、
「本能(ルーツ)」と「秩序(ルール)」と「方法(ツール)」だけだった。
それらは…そう、人格や性格ではない。

だが、王の庇護の下にあってようやく、彼はヒトとして誇れるだけの「自我」を獲得した。
力ある者に尽くし、その寵愛を受けること。
忠誠は喜びなのだ。自ら定めた主に従うことは、実益を伴う幸福なのだ。

―――自らが王になる、という大それた夢さえ持たなければ。
―――王がその気になれば、自らの命など吹いて消える、という危うさに気づかなければ。

ハイネには、そのように囁く悪魔の声を、銃声の一発で黙らせるだけの強固な自我があった。
小賢しい理屈の一切を、獣性の発露で押し潰すだけの激情があった。

「ヒト」だ。
「ついにヒトに至った」と、ハイネは思った。
限りない充足に手が震えた。

―――おれは今、とても「死ににくい」生き物だ。
住処があり、食餌がある。
安全がある。ヒトらしさがある。
偉大なる王の権威がある。
聖女の正しさと美しさがある。
教団はおれを守ろうとしてくれる。
おれの命は祝福されている。

…。

…祝福?
何故、そのようなものを得たいと思ったのか。

ハイネ。
誰がつけた名前だったのか。

「生きる」ということが、
そんなにも重要だと、
知ったのは、いつだったか。

「これ」は本当に、
おれの人生なのか?

===

『…成程。ハイネ、あなたの悩みは分かりました。』

「今ので分かったのか? さすがだ、アンジェラ。
 答えを聞かせてくれ。」

『いいえ、理解できた、というだけです。
 あなたにはっきりと道を示せる訳ではありません。
 …ハイネ、わたくしから言えることは、ふたつです。』

「…ふたつも。すごいな。」

『…あの、あまりヘンな褒め方をしないように。
 まず、あなたの「より良く生きよう」とする意志。
 それは間違いなく、正しいものです。
 ですが、何を以て「良し」とするか。
 その部分を、常識や他者の言葉に頼っている点に「影」がありましょう。』

「しかし、分からないものは、分からない。」

『誰だってそうでしょう。だから考える必要がある。
 あなたにとって、一番重要なものは何か。
 仮に「生きる」ということがそれならば、
 あなたにとって「生きた先」にあるものは何か。
 それが分かりさえすれば、あとはそこへ向かえばいいのです。』

「…成程。
 次の目的が必要…というワケか。」

『もうひとつの助言は、あまり考え過ぎることはない、ということです。』

「先ほど、よく考えるように言ったばかりだが。」

『ええ。よく考え、そして考え過ぎないことです。
 わたくしにも経験があります、自我が構築されて、それが自我であると自覚して間もない頃。
 急速に発達していく「自分」というものに翻弄されて、あることないこと、考え過ぎてしまう時期。
 あなたにとっての「目覚め」が最近の出来事であるなら、あなたは未だ子供も同然。
 かつてのわたくしのような苦悩を抱いているのでしょう。
 ですが、そういった苦悩。まるで無意味とは言いませんが、答えが出ることは稀です。
 ヒトの生の中には「答えの無い問い」があることを知り、それとは適切な距離を取りなさい。
 厄介な得物の間合いを見極め、消耗を避ける。戦いと同じですよ、ハイネ。』

―――聖女の言葉はまさに、目から鱗、というやつだった。
聖女は、おれに生きる場所をくれたばかりか、
その先までを用意してくれた。
…これは恩だ。大きな恩だ。

あの時「蛇」に噛まれたことは忘れるとも。
それでこの女との縁が繋がったというのなら、あの痛みを快くも思う。

何があっても、この女にだけは報いなければならない。
おれに「生きた先」があるとすれば、
それはまず「この女に恩を返すこと」だ。

固く誓ったところで、既視感を得た。

おれはこれを、知っている?
アンジェラを?

違う。そうではない。
あれは、誰だ―――?