■オルカデス - 02「旅人の骸」


ガウという名の旅人の一生は、極めて数奇なものだった。

そのはじまりがそう。
そのおわりもそう。
そして、その後でさえも。

彼は教団が試作したマニピュレーター候補の一人だったが、
なんのさだめか、その支配を逃れ、記憶を亡くし、世界に放逐されていた。
長い間、自由気ままな探訪を続けていたようである。

彼の優しい気質、太陽のように朗らかな人間性は、そうした旅の道中、
人々との間で育まれたものだろう。

教団のカタログに曰く、彼は「先史」の英雄を再現したもので、
特に「陽光」の操りにかけて名うての性質を持つと謳われていた。
調和したタイドと陽光は、非常によく似た「波」を持つ。
それは人に熱を施し、人の性を育み、人の生を見守るものであるが故だろう。

とはいえ、そんなことは露も知らず、自らの由来を求め、見果てぬ探訪を続けていたガウ。
彼が王国へと戻り、教団から抜け出したばかりのルーセントと出会ったことは、
まさに運命と呼ぶ他にない。
そのきっかけは本当に些細な、例えば「すれ違い様に肩が触れた」とかそういうようなものだ。

しかし運命が、命運が、彼らをそれで終わらせなかった。
破滅的な死を好む繰り手の糸が、それを巻き上げた。

「…かつての教皇猊下様が、今じゃ賞金首か。
 教団ってのは、そんなに居心地の悪い場所だったのかい?」

『…ちがくて、約束なんだ。
 ぼくには、約束があって…。』

喋り慣れぬ、まるで幼子のようなルーセントの言葉。
彼とマニピュレーターの馴れ初め。

箱の中に閉じ込められたお姫様は、いつか外の世界を見てみたいと願った。
その手を取るために月の王子は、彼女を必ず救い出すと約束した。
ありがちで、美しい物語。

誰もがその物語に「正当性」を見るだろう。
ハッピーエンドで終わるべき、そう信じる筈だ。
ガウもそうだ。だから助言をした。

「この王国には、コロセウムという儀式がある。
 次代の王を定めるための、テストのようなものだ。
 この国にあって王に次ぐ権威である教団の秘奥。
 その先にお前の願いがあるというのなら、
 お前自身が王になっちまうのが、手っ取り早いと思わないか?」

そしてこの助言が、ルーセントと、
ガウの命運を決定づけた。

彼らは教団の刺客から身を隠しながら、切磋し、琢磨した。
力、技、知恵。
およそコロセウムを勝ち抜くために必要な技術のすべてを。
互いに教え、鍛え、長らくの友であるかのように過ごした。

これまで「少女」以外に人間を知らなかったルーセントでさえ、
あるいは彼を「兄」のように感じていただろう。

そして結末だけを言うのなら、ガウはこの後、ルーセントに殺される。
彼の道を阻んだからだ。

コロセウムを勝ち抜き、王の資格を得たルーセント。
王宮とは即ち、教団の秘奥。そして、ルーセントやガウが「生産」された場所に他ならない。

そこへ到達し、ガウは全てを思い出した。
この場所が、自らのルーツであること。
自らが、失敗作のマニピュレーターであること。

そして知った。あるいは、本能に支配された。

―――マニピュレーターを装置から出してはならない。

「あれ」はそういう風に設計されていない。
どんな不具合が生じるかは分からない、しかし、
「あれ」が制御装置を離れれば、世界に満ちたタイドは統制を失うだろう。
多くの人が死ぬ。あるいは世界そのものが死ぬ。だから―――、

ルーセントの願いは、叶えられてはならない。

マニピュレーターを前にして、
居合わせたのはガウとルーセントの二人だけだった。

王宮の攻略に手を貸してくれたドロシーとウィリアムは、
ルーセントを先へ進ませるために、教団の刺客たちが迫る退路へ残ったからだ。
ガウは、これ以上は協力できないことをルーセントに告げる。

『ぼくに、嘘をついてたの? ガウ…。』

「…そうじゃないって言っても、お前は止まらんだろう。
 ルーセント、俺には無理だ。
 お前の願いはきっと正しい。だけど、それと引き換えに死ぬ世界を、
 俺は許容できない。

 長い間、旅をしてきた。
 誰かの遺した場所を見た。
 誰かの拓いた道を進んだ。
 誰かの願った夢を継いだ。
 そこに冒険があったんだ。

 そういうのは全部、ヒトが生きて、造ってきた場所なんだ。
 だから、ルーセント…すまない。
 お前の願いを、叶えさせるわけにはいかなくなった。」

―――それをすれば、世界が死ぬかも知れない。

そんな言葉はルーセントに対して無意味だ。
彼は世界の全てを天秤にかけても彼女を選ぶだろう。

だって彼には、それしかないのだ。
およそヒトをヒト足らしめる、因果と呼ぶべき宿業が。

『そっか…。
 じゃあ、ここで死んでもらうことになるけど、いい?』

「ああ、ここでお前を殺すことになるが、俺はそれで構わない。」

あるいは仕組まれた悲劇。そう考えながら、ガウは剣を抜いた。
ガウにとってはルーセントも、愛すべき世界の一部だ。
それを秤にかけることなど、容易にできる筈もない。

だからこそ、この手で止めようと決意した。

やがて、十数回の戟合の後、
ルーセントの拳は長剣の間合いを抜け、ガウの心臓へと撃ち込まれた。
己の死を知覚し、ガウは神を呪い、そして願う。

頼む―――、
許してやってくれ―――、

世界を引き裂く罪など背負えよう筈もない。
それでもルーセントは、己ですら知らぬ間に廃滅の悪魔へと堕ちる。
命の価値を知るよりも先に、
己がさだめに出会ってしまったがために。

であるならば、その不運。
拭い去るだけの力を持った誰か。
いるなら、頼む。

もしもルーセントの願いが果たされた先に、
まだ世界が続いているのだとしたら、
そこでこいつを、守ってやってくれ―――。

やがてガウの願いは、聞き届けられることになる。

当然、実在しない神によってではない。
ガウの遺骸に戦術的な価値を見出した、教団の科学者たちによってだ。