ガウという名の旅人の一生は、極めて数奇なものだった。
そのはじまりがそう。
そのおわりもそう。
そして、その後でさえも。
彼は教団が試作したマニピュレーター候補の一人だったが、
なんのさだめか、その支配を逃れ、記憶を亡くし、世界に放逐されていた。
長い間、自由気ままな探訪を続けていたようである。
彼の優しい気質、太陽のように朗らかな人間性は、そうした旅の道中、
人々との間で育まれたものだろう。
教団のカタログに曰く、彼は「先史」の英雄を再現したもので、
特に「陽光」の操りにかけて名うての性質を持つと謳われていた。
調和したタイドと陽光は、非常によく似た「波」を持つ。
それは人に熱を施し、人の性を育み、人の生を見守るものであるが故だろう。
とはいえ、そんなことは露も知らず、自らの由来を求め、見果てぬ探訪を続けていたガウ。
彼が王国へと戻り、教団から抜け出したばかりのルーセントと出会ったことは、
まさに運命と呼ぶ他にない。
そのきっかけは本当に些細な、例えば「すれ違い様に肩が触れた」とかそういうようなものだ。
しかし運命が、命運が、彼らをそれで終わらせなかった。
破滅的な死を好む繰り手の糸が、それを巻き上げた。
「…かつての教皇猊下様が、今じゃ賞金首か。
教団ってのは、そんなに居心地の悪い場所だったのかい?」
『…ちがくて、約束なんだ。
ぼくには、約束があって…。』
喋り慣れぬ、まるで幼子のようなルーセントの言葉。
彼とマニピュレーターの馴れ初め。
箱の中に閉じ込められたお姫様は、いつか外の世界を見てみたいと願った。
その手を取るために月の王子は、彼女を必ず救い出すと約束した。
ありがちで、美しい物語。
誰もがその物語に「正当性」を見るだろう。
ハッピーエンドで終わるべき、そう信じる筈だ。
ガウもそうだ。だから助言をした。
「この王国には、コロセウムという儀式がある。
次代の王を定めるための、テストのようなものだ。
この国にあって王に次ぐ権威である教団の秘奥。
その先にお前の願いがあるというのなら、
お前自身が王になっちまうのが、手っ取り早いと思わないか?」
そしてこの助言が、ルーセントと、
ガウの命運を決定づけた。
彼らは教団の刺客から身を隠しながら、切磋し、琢磨した。
力、技、知恵。
およそコロセウムを勝ち抜くために必要な技術のすべてを。
互いに教え、鍛え、長らくの友であるかのように過ごした。
これまで「少女」以外に人間を知らなかったルーセントでさえ、
あるいは彼を「兄」のように感じていただろう。
そして結末だけを言うのなら、ガウはこの後、ルーセントに殺される。
彼の道を阻んだからだ。
コロセウムを勝ち抜き、王の資格を得たルーセント。
王宮とは即ち、教団の秘奥。そして、ルーセントやガウが「生産」された場所に他ならない。
そこへ到達し、ガウは全てを思い出した。
この場所が、自らのルーツであること。
自らが、失敗作のマニピュレーターであること。
そして知った。あるいは、本能に支配された。
―――マニピュレーターを装置から出してはならない。
「あれ」はそういう風に設計されていない。
どんな不具合が生じるかは分からない、しかし、
「あれ」が制御装置を離れれば、世界に満ちたタイドは統制を失うだろう。
多くの人が死ぬ。あるいは世界そのものが死ぬ。だから―――、
ルーセントの願いは、叶えられてはならない。
マニピュレーターを前にして、
居合わせたのはガウとルーセントの二人だけだった。
王宮の攻略に手を貸してくれたドロシーとウィリアムは、
ルーセントを先へ進ませるために、教団の刺客たちが迫る退路へ残ったからだ。
ガウは、これ以上は協力できないことをルーセントに告げる。
『ぼくに、嘘をついてたの? ガウ…。』
「…そうじゃないって言っても、お前は止まらんだろう。
ルーセント、俺には無理だ。
お前の願いはきっと正しい。だけど、それと引き換えに死ぬ世界を、
俺は許容できない。
長い間、旅をしてきた。
誰かの遺した場所を見た。
誰かの拓いた道を進んだ。
誰かの願った夢を継いだ。
そこに冒険があったんだ。
そういうのは全部、ヒトが生きて、造ってきた場所なんだ。
だから、ルーセント…すまない。
お前の願いを、叶えさせるわけにはいかなくなった。」
―――それをすれば、世界が死ぬかも知れない。
そんな言葉はルーセントに対して無意味だ。
彼は世界の全てを天秤にかけても彼女を選ぶだろう。
だって彼には、それしかないのだ。
およそヒトをヒト足らしめる、因果と呼ぶべき宿業が。
『そっか…。
じゃあ、ここで死んでもらうことになるけど、いい?』
「ああ、ここでお前を殺すことになるが、俺はそれで構わない。」
あるいは仕組まれた悲劇。そう考えながら、ガウは剣を抜いた。
ガウにとってはルーセントも、愛すべき世界の一部だ。
それを秤にかけることなど、容易にできる筈もない。
だからこそ、この手で止めようと決意した。
やがて、十数回の戟合の後、
ルーセントの拳は長剣の間合いを抜け、ガウの心臓へと撃ち込まれた。
己の死を知覚し、ガウは神を呪い、そして願う。
頼む―――、
許してやってくれ―――、
世界を引き裂く罪など背負えよう筈もない。
それでもルーセントは、己ですら知らぬ間に廃滅の悪魔へと堕ちる。
命の価値を知るよりも先に、
己がさだめに出会ってしまったがために。
であるならば、その不運。
拭い去るだけの力を持った誰か。
いるなら、頼む。
もしもルーセントの願いが果たされた先に、
まだ世界が続いているのだとしたら、
そこでこいつを、守ってやってくれ―――。
やがてガウの願いは、聞き届けられることになる。
当然、実在しない神によってではない。
ガウの遺骸に戦術的な価値を見出した、教団の科学者たちによってだ。