■ペイルライダー - 02「事象渡りのエレイン」


「会いたかったわ、ルーセント」

その言葉に音はない。
剣戟の刹那、両者一辺の空気は掃討されて既に真空。
如何なる囁きも、世界の記録(ログ)には残らない。

それ故、ルーセントが幻聴したその言葉は、
彼女の視線から読み取った感情だ。

恋慕、偏執、憐憫?
―――この女は、五年前もそうだった。
まるで僕のことなんて、眼中にないようにして、しかし僕を見ている。
ガウが「好みだ」と言っていた「病める女」。
そしてついさっき、僕の前で、今度こそ、ガウを殺してみせた凶刃。

脚の無い鋼鉄の馬から蒼炎を噴き上げて、
ペイルライダーが騎走する。
斜陽の塔の壁面を駆け昇りながら、
タイドの奔流を足場に飛翔するルーセントを追う。

その姿はオルカデスとの戦いを経て傷つき、修復も完全ではなかった。
骨は砕け、筋は裂け、血に塗れ、死に迫り、それを迎え入れようとしながらも、
しかし鬼気と、狩人が獲物を追うが如く嬉々と!

そして、迫るペイルライダーを睨みつけるルーセントもまた、
獣じみた殺意を隠さない。

「ここで殺す、"エレイン"ッ―――!」

その言葉に呼応するかのように―――、

歪な嬌声と共に、騎乗する鋼鉄馬を、壁面に叩きつけるようにして肉薄する蒼褪めた騎士。
砕けた塔の破片が、土煙と共に重力に引かれて落ちる。

対して、タイドの気流に乗って上昇を続けるルーセント、
彼を囲う鎧外套(アーマーカーテン)の内側から双拳が閃く。
高速の貫き手が剣を打ち払い、蟷螂の如き二指鉤がペイルライダーの首元を攫う。

その鉤先が喉を切り裂かんとする刹那、
ゆらりと顎をそわせるようにすり抜けたペイルライダーは、
ルーセントだけに見えるようにして、それを嘲笑った。

ばきり、と指先に感じる、
久しき感触と、熱。

―――血だ。熱い。痛い?
噛 みつかれた のか!?

ルーセントの指先を、
まるでキャンディのように噛み砕いてそのまま、
その腕を、上体を、顔面を、
ペイルライダーは、自身の口元に引き寄せた。

そして、見舞われた頭突き。
震盪する意識を繋ぎ留めながら、ルーセントは直感に任せて上体をかわす。
同時にタイドの奔流を操り、自らの肉体を壁面から弾き飛ばした。

そうしなければルーセントの上体は三条に切り裂かれた後、
銃弾を立て続けに撃ち込まれていただろう。

―――砕けた指の、修復をしなくては。
畜生、痛い、痛い、痛い―――!

五年前、生まれて初めて痛みを知った。
そして金輪際、もう二度とゴメンだと思った。
その痛みが「あの子」にもあるなら、
絶対に味わわせてはならないと誓った。

誓ったのに、あの時も、こいつは―――!

「どうして邪魔をする…!?
 あんた、なんなの…!?」

僕と同じように教団に生み出されて、
僕を殺せと命じられた。
それなら分かる。

だが今や、彼女に命令を下した司教たちはいない。
じゃあどうして、こいつは未だ僕を追う―――!?

あるのか、こいつにも。
僕を殺さねばならない理由。
僕が、あの子を、救わねばならなかったのと、同様の、
背けない「因果」が!

血煙の向こうに透ける、その邪悪な微笑みを見て初めて、
ルーセントは自身の二の腕と胸部が、
深々と切り裂かれていることに気づいた。

高速移動などと言っては生易しい程の―――、

「ぐ…!」

返す手鎌がペイルライダーのこめかみを狙うも、、
その刹那に再び、ガチンと音を経てて閉じられた彼女のアギトが、
―――空を切る!

「バカにすんなッ!!」

濁流と呼べるほどの濃度にまで圧縮されたタイドの波が、
ルーセントの上体を押し流して軌道を変えていた。
そして吹き上がるタイドの風と共に蹴り上げられたルーセントの爪先が、
今度こそペイルライダーの顔面に炸裂して弾き飛ばす。

鋼鉄馬さえ双つに裂く蹴撃が、
壁面を裂走して天に昇る。

上へ、跳ねて上へ、さらに上へ。、
星の法則を無視して、ペイルライダーの肢体は上空へと堕ちていく。
堕ちながら、笑う。笑う他にない。
だってこんなに楽しいことがあるだろうか。

この一撃で騎馬も銃も喪った。
あれほどに死に体の少年が、なんて手強い。
なんて攻略しがいのある。なんて死骸にしがいのある。
ああたのしい、たのしい、なんてたのしい―――!

彼女は身を翻しながら、浮かべた薄笑いを引き連れて、
壁面を蹴りつけ、今度は重力に従って、
遥か階下に望むルーセントのもとへと、
加速しながら
戦刃を振りかぶった、
彼女の姿が、

"ぶれる"。

ルーセントはタイドで形成した足場の上、逆手に握り込んだ拳を低く、まるで弓のように、
引き絞って構えながらそれを迎える。

「あれ」が来る―――!

高速移動などと言っては生易しい、
運命の強制採択。

後の先。
先の先。
相反する二つを内包した虚像の連撃。

幾度となく振ったダイスの中から、
望む目を選び取る「事象渡り」の異能―――、

ひとつ、振りぬかれる剣刃がルーセントの首筋を素早く捉える。
だが、これは上体をそらすことでかわされた。コンティニュー。

ふたつ、突き出された剣刃がルーセントの胴体を刺し貫く。
だが、これは軸点をずらされ、致命傷にはならなかった。コンティニュー。

みっつ、徒手による強襲でルーセントの動きを制し、返す刃でその首を叩き落とす。
だが、これは徒手を払い落されて失敗した。コンティニュー。

よっつ、エスティアの剣術、三段式の払い抜きで首、胴、下腹を切り分ける。
だが、これは上中下段をそれぞれ丁寧に払い落された。コンティニュー。

いつつ、"噛みつき"の布石を利用し、その脅威を押し付けながら機を見る。
だが、これは逆に頭突きを見舞われることになった。悪手。コンティニュー。

むっつ、ザントファルツの剣術、片手に長く構えた剣先で電光石火の刺突、斬り上げ、持ち直して上段叩き下ろし。
刺突が命中、斬り上げは下がって回避されるが、ルーセントは大きく体勢を崩す。
その後、彼我の距離は未だ白兵、上段斬りをかわす方法はない。右肩から袈裟に命中。深度も十分。

決まりだ。

衝突の刹那、
ペイルライダーの残影が、
六種に重なってルーセントを襲う。

否、残影ではない。
全てが「本物」。
六種六様に嘲笑う、そのことごとくが「実像」。

ルーセントは上体をそらし、軸点をずらし、徒手を払うための徒手を用意し、
上中下三段の防御さえも講じて身を翻しながら、しかし圧し負けまいと前に出る。

―――想定された攻防のうち、その83.33%を確実に迎撃する構え。

故にペイルライダーは採択する。
「事象渡りのエレイン」は採択した。

四つめの影、その背後から繰り出された刺突が、
深々とルーセントの腹部に突き立っていた。

「選ばれなかった五つの影」が消える。
運命は採択されたのだ。

そして刃は上方向に振り抜かれる。
心の臓が切り裂かれるよりも早く、
ルーセントは体三つ分の距離を退いたが、
その体勢は致命的なまでに崩された。

そして眼前には、戦刃を振り上げた「蒼褪めた騎士」。
ひどく鈍重に時が流れ、
振り下ろされた刃がルーセントの右肩に落ちる。

落ちる。
落ちて、
そのまま、
彼の肉体を、
斜め一文字に、
その「中腹」まで、
かッ捌いた。

そして、ペイルライダーの狂暴な笑みが、
口元に大きな血袋を作って爆ぜる。

崩した体勢――――、
退いた距離――――、
体、三つ分――――?

ルーセントは、刺突から身を翻して距離を取った後、
自身の後方へと膨大な量のタイドを炸裂させ、
「戻ってきた」のだ。

その袈裟斬りをより深く受け、
タイドによって硬化させた全身の「中腹」で押し留めるために。

そして同時に、その拳打はペイルライダーの心臓へと撃ち込まれていた。
一瞬の空白の後、彼女の体内を衝撃が駆け抜け、
白銀の余波が塔の壁面を走り抜けていく。

「ガウが言ってた。
 あんたの弱点は、自分のダメージにムトンチャクなことだって。」

ずるり、と。
ルーセントの左掌が、鮮血と共に引き抜かれる。
悪魔の心臓、その残骸が宙空に散る。

「僕の勝ちだ、エレイン。」

もう一度、流砂のような血を吐いて、
ペイルライダーの全身から意気が失せる。

―――ああ、赤い。
真っ赤だ。私の世界が。
死ぬ? ああ、これは、ダメだ。
「死(ゲームオーバー)」だ。
あと、ひと呼吸の猶予さえ、ないほどの―――、

そして背を蹴りつけられたペイルライダーの肉体は、
ルーセントの眼下に広がる、廃れた王都の遥か底へと堕ちていった。

「…ばいばい。」

勝者が因果に別れを告げる。

そうして、今になって押し寄せた生傷の痛みに冷や汗を噴きながら、
ルーセントは、出血の止まらない傷口に手を当てた。

蒼褪めた月光に似た輝きが、その傷口を啄むように、蝕むように、
囲んで照らし始める。

「言うこと聞いて…聞け! 虫けらども…、
 もう少し…もう少しだけ、僕を死なせるな…!」

塔の中で誰が敗れ、誰が勝ち昇ってくるのか。
すべて見届けねばならない。そして決断せねばならない。

ルーセントは再び、タイドを踏み固めて飛翔する。
目指す先は天。そびえる斜陽の塔、その最果て。

示さねばならない。
ガウを喪い、事象渡りを殺した今、
残された最期の因果に―――。