騎士の国であり、同時に決闘の国でもある西方エセンブルクに「槍術」の概念をもたらした人物。
エセンにおける槍の歴史は、即ちこの女騎士の来歴に等しい。
剣の疾さ、盾の硬さ、鎚の強さ。
元来、この"三竦み"によって支配されていたエセンの戦闘理論において、
彼女が東方より持ち込んだ「槍による間接戦闘術」は、白兵戦における浪漫を著しく損なうものであった。
彼女は自らの流派に名付けることはなかったが、
多くの騎士の口をして、その槍術はただシンプルに「卑怯な技」と呼ばれた。
軽装を纏い、接近を嫌い、穂先は常に足元をつけ狙うように伏せ、
戦いが何時間と長引こうとも不動のまま、相手の隙だけを縫って跳ねる。
退けばその心臓を突き、来ればその首を払い、
守りに過ぎれば叩き潰し、両者不動であれば、無限に不動である。
「距離の維持」と「迎撃」、そして「一撃必殺」。
これらに重点を置かれた彼女の槍術は、
「決闘」というルールの中において、あまりに"実用的"過ぎるが故に、
多くの騎士に嫌われた。しかし同時に、彼女の不徳を咎められる者もいなかった。
兜を外した彼女は、たいへんに美しい娘であり、
誰もがその立ち振る舞いを、古き神話に由来する、戦乙女の似姿と形容せざるを得なかった。
「己の武」に仕える自由騎士であった彼女を娶ろうと考えた貴族の多くは、
彼女を他流試合に招待し、存分にその武を奮わせた。
あるいは「一度叩きのめされれば」という思惑もあったかも知れない。
しかし結局、彼女に傷を負わせられたものはおらず、
決闘場には男の血ばかりが流れていった。
そうして、貴族たちが彼女の武に、底知れぬ恐怖を感じはじめた頃、
いや、正確に言うならば「貴族たちが彼女を娶ることを諦めようとした時」。
彼女は言った。
「我が操を欲するならば、
この肌に一筋に血を流させるがよい。
それで我が身は貴殿のものとなろう。」
その言葉は貴族たちの背筋を撫で、そして狂乱させた。
こうして今日まで語られる「屍山血河の伝説」が始まったわけである。
名を、ニムロッド・エギルフェル。
彼女はその生涯において、ただの一度も傷を負わなかった。
やがて彼女の下には、虚栄を棄て、自らの生命を守ろうとする騎士たちが集い、
エセンブルクの地に、槍術の"理"が啓かれたのである。
「武を愛し、武に仕え、己が身を護ることを以て、その忠誠とする。」
それは一つの騎士道としてエセンに受け入れられ、
ニムロッド・エギルフェルはやがて「武に嫁いだ貴人」として、
「ニムエ御前」と呼ばれるようになった。
ちなみにその後、
ニムロッドはある武闘会の帰り道、街路を曲がった際に飛び出してきた青年と頭を突き合わせてしまい、
その際の流血を以て、その青年と婚姻を結んだと云われている。