オーランド辺境伯 - 「エンドレス」


無地の空…とでも呼ぶべき場所にいた。

0号辺境、三つ目の大門を抜けた先。
無数の岩塊が宙空を漂うその空間は、つい先ほどまでいた場所とは何もかもが違う。

眼下の雲間から覗き見える「空の底」には無限色の星々が瞬き、
天上に見上げる快晴の宙にもまた、見覚えのない星座が輝いている。

あるいは星々の輝きにあてられたのか、
その場所では透明なはずの大気でさえ、
時折、まばたきをするかのように明滅する。

風は強く、進む騎士の外套を大きくなびかせる。
しかし、その足取りは軽い。
彼は、自らの「足を引く力」が、エセンブルクのそれよりも遥かに弱いことを認識していた。
外套は、地表よりも遥かに長い時間をかけて、元の位置へと戻ろうとする。

いずれの現象も常軌を逸していた。
この風景こそ「辺境」と呼ばれる場所が、まさに異界であることの証左だった。

そして、騎士が望む遥か先、遠く浮かぶ岩塊の一つ、その上に第四の大門が建っていた。
大門とは、辺境の階層同士を繋ぐ場所。全ての辺境騎士たちが探訪し、目指す場所だ。

それがこうも呆気なく、この階層へ踏み込んだと同時に見つかったのだ。
つまり、こうである。

辿り着いてみせよ、と。

逆手に持った騎士剣を払い、自らの背後を切り結んだ騎士の甲冑に、赤褐色の血が降り掛かる。

姿はなく、その手応えは龍鱗。
痛苦に歪んだ恐るべき咆哮が、鳴り響きながら耳を離れていく。

不可視の翼が、蛇行しながら裂く風の流れだけが見える。
いや、それが「そこにいる」ということを知った上で目を凝らせば…
なるほど、押し退けられた風の層が、それに輪郭を持たせているようだ。

それこそが、第四の大門を守護する者。
騎士は剣を構え直し、自らの体重を確認するようにして一歩を踏み出す。

―――殺す。

全ては我が王のため。
エセンに住む民のため。

―――拓くのだ。

この剣で不明の闇を。
辺境の、その先へと。

―――そして至れ。

我らがこの地獄へ堕とされた、
「由来」へと。

岩塊を蹴って騎士はゆるやかに翔ぶ。
対する「見えざるワイバーン」の咆哮が、無地の空に木霊した―――。

===

「辺境伯」とは、エセンに点在する辺境のうち、特に規模の大きいものを踏破し、
平定し、その危険性を取り除いた騎士に与えられる称号である。

辺境探査に積極的であったカレル征伐王の抱える腹心、
当代最強の騎士として名高きオーランドもまた、辺境伯の一人だ。

「0号辺境」は、エセン最大の都、エセンブルクの中央に発生した「最初の辺境」であり、
同時に永らくの間、騎士たちに「第二階層」さえ踏ませることのなかった、未踏にして究極の「辺獄」であった。
オーランドは、この「0号辺境の調査に対する貢献」を称えられ、辺境伯の称号を授かった騎士である。

そう、彼はこの辺境を、踏破したわけでも、平定したわけでもない。
それでも彼が叙勲の栄誉に与った理由は、この辺境が他に比べ、あまりにも特異だったことにある。

第一門の守護者「祈る者」
第二門の守護者「青鱗のドラゴン」
第三門の守護者「神の戦車たち」
第四門の守護者「見えざるワイバーン」と「見えざるスタークラーケン」
第五門の守護者「最初の虜囚」
第六門の守護者「シュトゥマの院長」
第七門の守護者「辺獄の皇太子」

彼自身の記録によれば、これらすべての守護者を退けたとされるオーランドだったが、
しかし未だに、何らかの「成果」を持ち帰ることはなかった。

後に、浅い階層での危険性を失った0号辺境の再調査によって発見された「オーランドの手記」によれば、
彼が辺境で発見したすべての「成果」は、オーランド自身が所有し続けているらしい。

彼の手記に含まれていた内容は、以下に続く。

日に数度、自らが「騎士とは遠い何か」に変貌しつつあることを自覚する、という著述。
0号辺境はあまりに深く、それでいて攻撃的ではなく、他の辺境とは根本から造りを異にする、という調査結果。
その深さ、鼠返しのように防御的な構造ゆえ、0号辺境の内側からエセンを害する存在は現出しないだろう、という考察。
自らが帰還するまで、第七門より先にはいかなる騎士をも侵入させてはならない、という警告。

そして、
自身は今、第二十四門の守護者を征伐(ころ)し終えた、という報告。

…である。

===

薄汚れた外套を引きずりながら、
自らの手足も、まるでそうするようにして、
老いたる騎士が冥府の闇を進む。

オブシディアンの霊廟、とでも呼ぶべきその異界は、
もはや他の辺境と比べるべくもない、
現実性を失った様相で、彼の侵略を受け入れている。

そして彼を待つ、暗闇の中で瞳を輝かせるもの。

四対からなる複腕のすべてに、赤黒い輝きを称えた手鎌を有し、
上半身には、荘厳に飾られた巨躯の人体、下半身には、逆立つ鱗の蛇の如き威容を持つ巨怪。

それに向かい、ボロ布の騎士はゆっくりと歩いていく。

盾を捨てたのは、いつだったか。

いずこかで、その身に宿した遺物の力によって、
肉体は痛みを忘れ、まるで木々がそうあるように、時間の経過によって、すべての傷が癒えるようになった。
ゆえに命を、過剰に気遣う必要もなくなった。

その代わり、両手に二つの武器を持った。
それらは「刃を欠いた剣」のように見える。

エセンの騎士たちが、今の彼の姿を見たとして。
「狂っている」という以外の感想を抱ける者はいるだろうか。
あるいは彼の主であり、親友であり、最大の理解者でもあるカレル征伐王でさえ、
オーランドの発狂に勘付き、唾を飲むかも知れない。

されど、
あれなるを見よ。

交差させ、振りぬいた両腕の先、
瞬きの合間に生じた、輪郭持つ光の刃。

「信仰心」を湛え青き光刃と為す、聖なる遺骨、偽証の剣。
「殺めたる魂」を捕らえ赤き光刃と為す、旧き星雲卿の腕、刹業の剣。

光の粒が震える音が霊廟に響き、
第三十八階層の戦端が開かれる。

かの騎士の名はオーランド。

未だ底知れぬ、この大闇が持つ「目的」を暴くため、当代単騎にて、この辺獄を突破せんとする者。
最後の希望―――、

―――エセン最強の「辺境伯」である。