■ハイネ - 04「騎士、忠誠に没する」


ディエクスの研究棟が「火薬」と呼ばれる物質を再現したのは、既に百年以上も前のことだが、それが実用的な兵器として運用されたのは、ごく最近になってからだ。
開発に際して問題になったのは―――「火薬」がタイドによって「湿る」こと。
タイドの影響化にあって、その特性が著しく弱まることにあった。

そのため「火薬」を用いた武器を扱える者は「タイド不能者」か「完全適合者」に限られた。
生まれながらにタイドへの抗体を持ち、身の回りからそれを弾く者。
あるいは、完璧な統制能力を持ち、身の回りからそれを遠ざけることができる者。

この「斜陽の塔」をめぐる戦いにおいて「銃」を活用できたのは、ハイネと、そしてペイルライダーのみだった。

ある時まで、ハイネが「不能者」であることを疑われなかったのは、一重に、彼の身体的特徴が極めて「エスティア人的」であったことによるものだろう。
とはいえ、教団の研究者によれば、それはあくまで「先天的、遺伝的なもの」であり、彼の両親、あるいはそのどちらかがエスティアのタイドに強く影響された遺伝子を持っていたからだと云う。

教団の兵器庫に眠っていた猟銃を手にしたハイネが、最初の射撃をカタログスペックの通りに成功させた時、研究者たちは歓喜した。

狩人の素養。反動を受けながらも狙いを違えない。音と熱に思考と反射を乱されない。
鉄の精神。不能者の素養。あらゆるタイドによって影響されない。火薬を一切のペナルティなく活用できる。天性の資質。

世界で唯一、この庭師のため得物。
「弾圧(オプレッション)」と名付けられた対人用の長銃が、連続して銃口(マズル)を照らす。
ハイネのために造られたその武器は、史上最も効率的にヒトを殺傷し得るものだった。

===

―――しかし、こいつはどうも、そう簡単な話ではない。

狙い、撃つ。
この、あまりにも容易い動作でさえ、不発に終わっている。

引き金を引き、撃鉄が薬きょうを叩き、
火薬が爆ぜ、弾丸が発射される。
その僅かな「隙間」に送り込まれてくるのだ。

矢。
木製のシャフトに金属製の鏃、そして矢羽根が添えられた、粗末な弾丸。

確かに、発車までの工程(タスク)だけを言うならば、あちらの方が少ない。
あるいは未来予知にさえ近い精妙さがあれば、あらゆる行動の「機先を制する」ことは可能だろう。

いいや、それでも―――。

銃の方が速い筈だ。圧倒的な差を以て蹂躙して然るべきだ。
ならばおれが押されているのは、戦士を相手取った「経験の差」か。

斜陽の塔の中腹。

この塔に集まった全ての戦士が、その頂上部を目指している。
世界を終わらせるため、あるいは終わらせないため、
その権利を掠めとるため、あるいは観劇のために。

一方でハイネは、それほど特別な感情を持ってここに立っている訳ではない。
即ち「王宮」こそは「王の庭」。
侵入者の駆逐は、彼がこれまで延々と繰り返し続けてきた「ゴミ掃除」に他ならない。

怜悧冷徹に。
規定動作(ルーチンワーク)による処分を。
行う筈だった。

「苦戦を許さない」だとか、
「一刻を争う」だとか、
そういう話ではないものの。
しかし、多少の苛立ちがあった。

ハイネは、矢継ぎ早な射かけに対して、瓦礫を背にしながら愛銃の弾倉を取り換える。

―――アンジェラは今、何処で戦っているのだろう。
あの女が「負ける姿」なんて、まったく想像できないが。
だが、それでも、しかし、万が一。
殺されてしまっては、まずい。

おれにとっての未来が、かげる。
だからさっさと、皆殺しにせねばならないのに。

金属片が頬を掠め、疾る鮮血が意識を戦いの最中に引き戻した。
反射? 跳弾? ではない。…炸裂する鏃?

ハイネは「快い痛み」に身を震わせた。

―――面白い。珍しいタイプだ。
タイドの恩寵を持っておきながら、
それに頼り過ぎることをしない。

それよりも「こいつ」はどうやら、
「道具」を試すことに執心しているらしい。

ディエクスの、何て言ったか。
…弓士!

「おい!
 おれはあんたのようなのと戦うのは初めてなんだ!
 少しは手加減してくれないか!」

『私だって初めてさ。ああ、とても興味深い。
 教団の造った「銃」! 私もタイドと疎遠であるなら開発してみたかった武器だよ。
 工程のシンプルさと反比例する殺傷力の跳ね上がり方、取り回しの良さと耐久性の高さ。
 そして何よりフォルムがすごくいい! 遠くからヒトを殺す! という意志を感じる形をしている!』

―――思い出した。ウィリアムだ。
「星睨み(スターゲイザー)」のウィリアムだ。
見つけ次第殺すように書かれたリストの、一番か二番に載っていた奴だ―――。

瓦礫の裏から低い姿勢で飛び出し、
途端に射かけられた矢の数本の間を抜けながら、
構え直したハイネの銃口が光る。

連続する火砲が、円形のホールの端から端までを射抜き倒す。
変則的に歩幅を変化させ、速度の緩急によってミスショットを誘発するウィリアムに対して、
ハイネは狙撃を諦めた。そして武器の長所である攻撃力を頼り、
「回避が意味を為さない攻撃」に重点を置き始める。

それは、ウィリアムが持つ「回避」にまつわる性能の高さを「信頼」した攻撃だ。
道具に頼る。戦いを楽しむ。素晴らしいことだ。
だが、それは生きていてこその愉悦。

嗜好によって戦術を採択する者はいても、
徹頭徹尾、自らの才能を利用しない者はいない。

こと攻撃に関して、あれは変人なのだろう。
しかし、防御に関して、同様の変人ぶりを貫き通すならば、報復は死だ。
だから彼(彼女?)は、その素晴らしい能力を、きっと十全に駆使するだろう。

―――という予測。
それは、ハイネがこれまで、タイド能力者を相手に用いてきた戦闘理論に則るものだった。

ハイネの攻撃とは、即ち掃射である。狙いもそこそこに、弾幕によるラッキーヒットを狙うことにしたのだ。
銃弾は、矢とは根本的な威力が違う。
射線が交わったとしても、矢は砕けるが、銃弾に弾道変化は起き難い。
その上で目標に到達したとしても、部位によっては掠めただけで吹き飛ばすパワーがある。

それに怯えてくれないだろうか。
呼吸を乱してくれないだろうか。
発砲の熱と音に恐怖してくれないだろうか。

動き続けてくれて構わないので、
その精細を、欠いて「死」んではくれないだろうか。

怜悧冷徹に、そして不作法に。
正確に、そして適当に。

灰色の死神が「弾圧」を掻き鳴らす。

ああ、我が王が「神」に至ることを選ぶなら―――、
おれは、ついになれるのだ。

路地裏で震え、生きるために命を啜る獣ではなく、
王の命によって命を収穫する、誇り高き死神に。

これはその道中、そのための戦い。
これまでの「殺人」とは決定的に違う。
怪我も痛みも、まるで怖くない。

自然に上がった口角と。
自らがまき散らす弾幕の影に、
ハイネは、失われた記憶の幻を見た。

その幻影を貫いて飛翔した一本の矢が、
ハイネの左眼に吸い込まれていく。

===

―――ハイネ。

―――ハイネ、どうか…。

自らを抱いていた暖かい手が、「彼」の体を離れていく。
それが永遠の別れであることを直感して、「彼」は獣のように泣いて喚く。
しかし、その手は決して、「彼」の下に戻ることはない。

言葉も未だなく、自分で立ち上がることも、目を開けることもできず、
「彼」はただ、泣いて、喚いて、その別れを惜しむばかりだった。

そんな「彼」を見て、暖かな手の持ち主は、ひとつだけ言葉を与えた。
だが、いかなる理由があったとしても、それは許される言葉ではなかった。
「子を棄てた母」が、口にしていい言葉ではなかった。

彼女は、小さく絞り出すように言う。
「どうか、生きて」と。

===

―――ああ。思い出した。
その言葉を。
その願いを。
この名前を。
守り続けて、今ここで、死ぬことを恐れずにいられるのだから。

これが人生、というものであるなら、
まったく、

「―――痛快、だ。」