「あなたがこんなにも強情だったことなんて、あったかしら。」
鉄杖を構えた、眼鏡の術士が問いかける。
その冷たい声色を後頭部に浴びて、倒れ伏したまま震えているのもまた術士だ。
両者は決戦の地、斜陽の塔、その地下空洞において矛を交えていた。
極北の賢者、ドロシー・バベルワーズ。
「大変容」を引き起こした悪鬼羅刹の王、
傀儡王ルーセントを討つべく蜂起した三国同盟の軍師にして学徒巫女。
そして、キャサリン・トロイホース。
傀儡王に忠誠を誓う「太陽の教団」の新たな教皇であり、
聖女アンジェラの主導する惑星改善計画の統括主任にして学徒巫女。
痛みを堪えるように伏して震えていたキャサリンだったが、
やがて転がった鉄杖を手に取り、それに頼って体勢を立て直す。
とはいえ、その膝は震え、全身は打撲の痛みによって痙攣し、
その度にパタパタと、鼻血が流れて地面に落ちた。
「どうしても分からないことがあるの。
あるのよ、キャサリン。本当に分からないの。
お願いよ。質問に答えて。」
『…い、いやだ。こ、答えない。
戦え。わ、私と戦え…!』
怯えながらも、決然として。
キャサリンは、旧友へと鉄杖を向ける。
その姿を目にして、目を逸らして、目を伏せて。
やがて、そう、とだけ呟いたドロシーの上空で、
二羽の鴉が、旋回しながらカアと啼いた。
不銀(フギン)。
無仁(ムニン)。
ドロシーの操る戦術鉄塊。
その姿は5年前とは大きく異なっている。
爪はより効率的に敵の骨を砕くために巨大化し、
嘴(くちばし)はより効果的に敵の肉を啄むために巨大化し、
瞳はより狡猾に、敵の死期を見定めるために巨大化し、
その体躯は、戦場に沸く無尽の敵を轢き潰すために―――、
あのオルカデスでさえ踏み潰せるほどに巨大な鋼鉄の、双対の鴉が。
轟音と共に降り立ち、大空洞を震わせる。
そして、それを操るドロシーはもはや、
学徒巫女という「陽光の下で守られるべき存在」ではなかった。
その冷ややかな視線が告げている。
傀儡王に弓引く自らの立場を。
5年前に自らが犯した過ちへの償いを。
もう二度と、誰かの過ちを見逃さないために。
次は必ず「そうなる」前に、命を奪うと。
「最期に、もう一回だけ聞くわね。
あんたホントに…何してんのよ?」
『ゥるせえッ! さっさとかかってこいッ!
バーカバーカ! クソメガネ! ゴリラ!』
「あっそう…それじゃあさよならね。バカ。」
双鳥が翼を広げ、ガラスを爪弾くような音と共に、
キャサリンの周囲に不可視の力圧を産み出す。
まるで、星に圧し掛かられているかのような重圧。
全身の骨がバキバキと軋む。
そのいずれかは既に小気味のよい音をたてて折れている。
―――だが、これで、「この程度」で死んでいてはダメだ。
杖を地に突き立てて、キャサリンは周囲のタイドへと呼びかける。
―――集え。「虫けら」ども。
私のところへ来い。
ここには全てがある。
この手の中に全てがある。
お前たちを「還す」準備がある。
相応しい場所。然るべき場所へ。
この場所の全てのタイドは、この時のために調整されている。
「グループの細分化」も既に終わっている。
もう1年も前に完遂させているんだ。
私は秀才であって、天才ではない。
私がドロシーに追いつくためには、
それだけの時間が必要だった。
その間にきっと、たくさんの人が死んだんだろう。
その間にきっと、ドロシーはたくさんの悲しいものを見たんだろう。
だから全てはこの時、この瞬間のために。
研究して、解析して、実験して、
そして―――、
「死滅の雪」が降る。
鴉の覆う結界の中に、
全てを消滅させる純白の灰が降る。
ドロシーはその光景から眼を背けようとして、はじめて、
自分の頬が、涙でずぶ濡れになっていることに気づいた。
―――たった一人の、親友だったのに。
雪が思い出を、走馬燈さえ覆い隠す。
冷たい光が、あらゆる原子の結合をほどく。
その中で――――、
その中に―――、
ひと際に眩く輝く、小さな光の粒がある。
そしてそれを守るように抱く、人の姿がある。
それは純白の聖衣に身を包み、
赤子を抱く聖母のように。
神話に語られる尊き者。
世界を救済する、その者の姿は―――、
その輝きが、地底の恒星となるほどに膨らんだ瞬間、
巨躯の鉄鴉さえも薙ぎ倒すほどの爆風が、
結界を打ち破って周囲に炸裂した。
ドロシーはその光景を目にして、口を開ける他にない。
光が膨張した瞬間、予想される風と衝撃をタイドの障壁によって防ごうとした彼女だったが、
しかしその術は不発に終わり、彼女の小柄な身体は空中に吹き飛ばされた。
駆け付けた不銀がその背にドロシーを捕まえ、
飛来した無仁が爆発の余波と熱から彼女を守ろうとする。
しかし彼女は、その翼の隙間から飛び出して転がり、
爆心地へと駆け出した。
「キャサリン!」
―――私が衝撃から身を守ろうとした時、既に一帯のタイドは存在していなかった。
だから防御の術が働かなかった。
全てのタイドが、キャサリンの抱いていた光球に吸い込まれたからだ。
私がタイドを変容させて作り出した、あの極大のエネルギーさえも。
それを用いて、キャサリン、あなたは―――、
「何をしたの!?」
撒きあがる砂ぼこりの向こうで、
キャサリン・トロイホースは仰向けに倒れていた。
痛苦に歪んだその表情は、多分に痛々しいものであったが、しかし、
それは即ち、彼女が未だ生きていることの証明でもあった。
『ク、クソ痛ぇ…。』
「どうしたのよもう、なんなのよもう!
良かった、良かった…!」
ドロシーに抱きかかえられ、キャサリンはその背中を弱弱しく叩く。
『痛い痛い、痛い、やめなさい。
骨が折れてるので、痛いからやめて。
やめろって言ってんだろ!!』
「もう! 説明してよ! ぜんぶ説明して!」
大粒の涙を零しながら、抱きしめる勢いを止めないドロシーに対して、
キャサリンはか細い声で語り始めた。
『やれることをね、ぜんぶやった。
手応えがあるので、上手くいったと思う。私は、天才だ。』
―――キャサリンは得意げに笑う。
それは在りし日々の学園において、
ドロシーが幾度となく見せつけられた笑顔だった。
「疲れたから、寝るので。
私を連れて、外に出て。
やったぞ、目覚めたら私は英雄だ…ウフフフ…。」