■キャサリン - 07「"キャサリン"」

 

この記録を見ている、人類の精神的後継者へ。

私に、名前はない。
名前ってのは、己とそれ以外を別つためのもの。

この星の上にもう、私以外の者は必要なくなった。
だから、私にも名前は必要ない。

ただ「ニンゲン」と、私は自称する。

この記録を聞き、理解する者がいたならば、
この私がこれから行う偉業は「完全完璧に成功した」ということだろう。

だから君たちに―――、
新たな地平を往く君たちに。
とりま祝福を送ろう。

私たちがどのようにして育ち、
どのようにして滅んだのか。

そんなんは、君たちにとってどうでもいいことだろう。
それに、君たちの旅立った新天地において、
そういった脅威は、きっとない。

そういう星を探すように作ったからだ。

きっと君たちは、この宇宙の果て、
最も安全で、最も若い場所で、
今まさに、再生と繁栄の途上にあると信じている。

…それでも、まぁ。
君たちがもし、自分たちの先祖について、
「知りたい」と思った時に、
それを知る方法がないってのは、そらちょっと苦痛だな。

人類起源の闇。
私も、それにはモヤモヤさせられた。
「ミッシングリンク」ってやつだ。

まぁ君たちにそんな苦悩は必要ない。
だからそう、この記録を残して往く。

かっぽじってよく聞けよ。
現世人類の最期の転機、これを私は「トライフォース計画」と呼んだ。

===

「これは本当にどうでもいい話なんだけどさ。」

切り出したキャサリンの口調は重く、
これまでに聞いたことがないほどに、鬱屈しているように聞こえた。
ドロシーはそれに気づかないフリをして、林檎の皮むきを続けている。

「世界が救われた今となっては、本当にどうでもいいこと。
 私が早く退院することの方がよほど重要。
 まったくもって誰にも関係ない、本当にクソどうでもいい話。」

『…早くなさいよ、そしたら。』

全身に包帯を巻かれ、目元と口元のみを露出させた状態のキャサリンは、
微動だにさせられない足の爪先をじっと見つめながら、続けた。

「ニンゲンは"愛"で滅んだんだって。」

『あっそう。そら本当にクソどうでもいい話ね。
 カーリーから借りた漫画に、そんな話があったわ。』

ぶっきらぼうに言ったドロシーの脳裏に、幼い日の「彼」の姿が浮かぶ。
ルーセント。無垢な愛を抱いたがゆえに、世界の半分を死なせた王。
そして、それとは無関係であるように思われるその話は、続く。

「ニンゲンの星は、三匹の獣に滅ぼされたんだってさ。
 私の中の記録によると。」

『…それはまるで、アレね。
 私たちがこの戦争に負けていたら、
 神話には、そう語られそうな感じね。』

「ニンゲンは、三匹の獣を殺すことができなかった。
 だから獣に殺された。それが獣のサガだったから。
 ニンゲンは、その最期の一人でさえ、
 彼らの「歴史」を外へ逃がすことしかできなかった。
 …ってことなんだろうか。」

『知らないわよ。あんたさっき言ったじゃない。
 愛ゆえに? 滅んだんでしょ。だれも獣を殺せなかった。
 それは愛していたから?
 よく分からない話だし、あんたが言わなきゃ、まったくウソくさい話だわ。』

「…なんだかな。私のようなヤツが一人か二人、いなかったのかな。
 自分より大事なものを知らない、そういうヤツ。
 一人でもいれば違ったのかなぁって思ったことが、この話のはじまりなんだが。」

『それ、あんたが有能って自慢する話?』

「珍しくそういう話じゃなくて。
 私が、こんなにも膨大な智慧を持って、それでもまだ私のままでいられるのって。
 …優秀を通り越して、ちょっと異常じゃない?」

ドロシーの手が止まる。
綺麗に繋がった林檎の皮が、窓の外から差し込む砂漠の光を反射して煌いた。

「…私って、多分なんですけど。
 ママから産まれたキャサリンちゃん…じゃないと思うんだよね。
 キャサリンちゃん、多分産まれた瞬間に死んじゃったんだと思う。」

『あんま面白い話じゃないわね、それ。』

「いや、これは聞いて欲しくてさ。
 多分ね、アイエンティからこの智慧を降ろされた時…っていうか、多分。
 アイエンティが私に降ろしたのは「個人」だと思うんだよね。推測だけど。
 空っぽの赤ちゃんに、多分「ヒトひとり」が降りたんだ。
 そしてそれは多分、あの移植器を造ったヒトなんだと思う。
 じゃなきゃ何から何まで、全部頭の中に入ったりしてないでしょ。」

『…それが何なの?
 赤ん坊の頃にそうなったって言うんなら、そこから今まで生きてきた、
 あんたが「キャサリン」ってことでいいじゃない。
 少なくとも私にとってのあんたは、あんたよ。』

「…いや、そういう慰めはいらない、と言うとウソになる、ので。
 有難く頂戴するとして、ドロシーちゃん。
 私が言いたいのはね。この…トライフォース計画の主任者。
 最期のニンゲンは、どうなったんだろう。
 どう死んだんだろう、ってことが少し気になっちゃって。
 だって私がその人で、その人が私なら―――。」

『私がこの星を救ったように?』

「そう! 私と同じくらい頭脳明晰で、辛抱強くて、行動力と愛嬌があるならさ。
 そして何より、私と同じくらい「我が身可愛さ」があるならさ。」

『その人も、移植器を起動させた後、世界を救ったかもって?
 まったくもって、クソどうでもいい話だわ。
 確かめる手段もないし、その結果がどうだって、私たちには関係ないし。
 「その人」だって「獣」を愛してしまったかも知れないでしょ。
 どうすんのよ、めちゃプリティでフワフワな小動物だったりしたら。』

「いやだから最初に言ったでしょ。
 どうでもいい話だって。」

『…ウィリアムに検証を頼んだら?
 あいつ、いつの間にか移植器の航行記録を盗んでたみたいよ。
 それを逆に辿れば、「ニンゲンの星」が見つかるかもって。』

「…ウィリアムさんって、あのヒト本当に行っちゃいそうだよね。
 生きてるうちに、星の海まで。」

『行っちゃいそうっていうか、行くわよ多分。だって学徒巫女がいるんだもの。
 探せば出てくるわよ、空飛ぶ船の設計図の一枚や二枚。
 ニンゲンの星に行ってみて、まだそいつらがぬくぬく生きてたら面白いわよね。』

ドロシーの言葉を受けて、思わずキャサリンが晴れやかに破顔する。
心底からおかしそうに笑って、そしてずきりと痛んだ足に引っ張られて顔をしかめた。

「…めちゃおもろい。そしたら私たちの存在はまるで冗談のよう。
 ウィリアムさん、ニンゲンに追いつけるかな。」

『…どうでしょうね。これ以上、学徒巫女は生まれない。
 ディエクス人が不自然な「手癖」を身につけることもない。
 東の人々だって、私たちと同じような虚弱さで産まれてくる。
 このあと百年が勝負って感じじゃない?』

百年。

あの時、ドロシーの操る膨大なタイドを受け、それをエネルギーへと変容させて移植器へ送り、
惑星間航行機能を再起動させたキャサリンが、この星に手渡した未来。
やがてニンゲンと同じものになる、自分たちの「余生」。

―――やっぱ、下らない話だったな。

キャサリンはそう思って、窓の外を見る。
ザントファルツを行き交う人々は、傀儡王のもたらした未曾有の厄災など、
まるで無かったかのようにして、今日を壮健に生きている。

それを「自分が守ったのだ」というような自覚、誇りは、キャサリンにはない。
彼女が抱いているものは「生き延びた」という安堵だけだ。

悪意なき天変地異を前にして、それをたった一人の力で跳ねのけたという事実こそあれ、
それを大声で言って周り、色んな人に褒められたい、ちやほやされたい、
というような欲望こそあれど。

根本的な部分で、やはりキャサリンは自分本位の性格だった。

生きてて良かった。
さっさと退院して、ウクレレの練習しよ。

あ、そうだ、それから。
学院のご同類に、一応お礼でも言いに行くか。
…そろそろ、ともだちにしてやってもいいかな、あいつらも。

窓の外を眺め、そんなことを考えながら、
キャサリンの英雄譚は終わる。

===

―――と、このようにして、星間移植器…我が子「トライフォース」は、
必ず安住の地を見つけ、そこに新たな地平を拓くだろう。

この私の天才性により導かれたこの計画は、この私の御手によって遂行される。
分かるか? 云わば私は、君たちの神サマってワケ。

そしたら必ず、必ず建てろよな。私の銅像。いや金がいいな。金がいい。
ゴールデン像を建てろ。君たちの国の中央に。
金の組成については移植器の中を検索しろ。青いエミュレーターの中に全部入ってる。
私たちがこれまでに作り出してきたものの全てだ。必ず再現しろ。
ほんで私の像を一番大きく作れよ、神サマなんだからな。

毎日崇めて、お祈りして、アイドル化して、色んなゲームに出せ。主神として。
それで私は生き続ける。君たちの中でずっと。それでやっと安心だ。
リスクヘッジはおしまい。

これから私は―――、
私は、あいつらを駆除する。

何が「獣」だ。馬鹿馬鹿しい。
害獣駆除は科学の得意技だバカが。

不滅だろうが何だろうが。
必ず奴らを殺す。そして私は生き延びる。

これまでずっと一人だったんだ。
これからも一人で生きていける。

ともだちなんかいらないよ。
私にはウクレレだけあればいいのさ。

それじゃあさよなら、未来のヒト。
君たちの世界を好きになさい。

私は全てを破壊し尽くして、
私の王国をこの星の上に作るのさ。

さよならバイバイ。

…いや、いや待て、やっぱり名乗っておこう。
君たちの主神なんだ、名前はあった方がいい。
ごめんやっぱ名乗らせて。

私の名前は―――、

===

キャサリン - end