この記録を見ている、人類の精神的後継者へ。
私に、名前はない。
名前ってのは、己とそれ以外を別つためのもの。
この星の上にもう、私以外の者は必要なくなった。
だから、私にも名前は必要ない。
ただ「ニンゲン」と、私は自称する。
この記録を聞き、理解する者がいたならば、
この私がこれから行う偉業は「完全完璧に成功した」ということだろう。
だから君たちに―――、
新たな地平を往く君たちに。
とりま祝福を送ろう。
私たちがどのようにして育ち、
どのようにして滅んだのか。
そんなんは、君たちにとってどうでもいいことだろう。
それに、君たちの旅立った新天地において、
そういった脅威は、きっとない。
そういう星を探すように作ったからだ。
きっと君たちは、この宇宙の果て、
最も安全で、最も若い場所で、
今まさに、再生と繁栄の途上にあると信じている。
…それでも、まぁ。
君たちがもし、自分たちの先祖について、
「知りたい」と思った時に、
それを知る方法がないってのは、そらちょっと苦痛だな。
人類起源の闇。
私も、それにはモヤモヤさせられた。
「ミッシングリンク」ってやつだ。
まぁ君たちにそんな苦悩は必要ない。
だからそう、この記録を残して往く。
かっぽじってよく聞けよ。
現世人類の最期の転機、これを私は「トライフォース計画」と呼んだ。
===
「これは本当にどうでもいい話なんだけどさ。」
切り出したキャサリンの口調は重く、
これまでに聞いたことがないほどに、鬱屈しているように聞こえた。
ドロシーはそれに気づかないフリをして、林檎の皮むきを続けている。
「世界が救われた今となっては、本当にどうでもいいこと。
私が早く退院することの方がよほど重要。
まったくもって誰にも関係ない、本当にクソどうでもいい話。」
『…早くなさいよ、そしたら。』
全身に包帯を巻かれ、目元と口元のみを露出させた状態のキャサリンは、
微動だにさせられない足の爪先をじっと見つめながら、続けた。
「ニンゲンは"愛"で滅んだんだって。」
『あっそう。そら本当にクソどうでもいい話ね。
カーリーから借りた漫画に、そんな話があったわ。』
ぶっきらぼうに言ったドロシーの脳裏に、幼い日の「彼」の姿が浮かぶ。
ルーセント。無垢な愛を抱いたがゆえに、世界の半分を死なせた王。
そして、それとは無関係であるように思われるその話は、続く。
「ニンゲンの星は、三匹の獣に滅ぼされたんだってさ。
私の中の記録によると。」
『…それはまるで、アレね。
私たちがこの戦争に負けていたら、
神話には、そう語られそうな感じね。』
「ニンゲンは、三匹の獣を殺すことができなかった。
だから獣に殺された。それが獣のサガだったから。
ニンゲンは、その最期の一人でさえ、
彼らの「歴史」を外へ逃がすことしかできなかった。
…ってことなんだろうか。」
『知らないわよ。あんたさっき言ったじゃない。
愛ゆえに? 滅んだんでしょ。だれも獣を殺せなかった。
それは愛していたから?
よく分からない話だし、あんたが言わなきゃ、まったくウソくさい話だわ。』
「…なんだかな。私のようなヤツが一人か二人、いなかったのかな。
自分より大事なものを知らない、そういうヤツ。
一人でもいれば違ったのかなぁって思ったことが、この話のはじまりなんだが。」
『それ、あんたが有能って自慢する話?』
「珍しくそういう話じゃなくて。
私が、こんなにも膨大な智慧を持って、それでもまだ私のままでいられるのって。
…優秀を通り越して、ちょっと異常じゃない?」
ドロシーの手が止まる。
綺麗に繋がった林檎の皮が、窓の外から差し込む砂漠の光を反射して煌いた。
「…私って、多分なんですけど。
ママから産まれたキャサリンちゃん…じゃないと思うんだよね。
キャサリンちゃん、多分産まれた瞬間に死んじゃったんだと思う。」
『あんま面白い話じゃないわね、それ。』
「いや、これは聞いて欲しくてさ。
多分ね、アイエンティからこの智慧を降ろされた時…っていうか、多分。
アイエンティが私に降ろしたのは「個人」だと思うんだよね。推測だけど。
空っぽの赤ちゃんに、多分「ヒトひとり」が降りたんだ。
そしてそれは多分、あの移植器を造ったヒトなんだと思う。
じゃなきゃ何から何まで、全部頭の中に入ったりしてないでしょ。」
『…それが何なの?
赤ん坊の頃にそうなったって言うんなら、そこから今まで生きてきた、
あんたが「キャサリン」ってことでいいじゃない。
少なくとも私にとってのあんたは、あんたよ。』
「…いや、そういう慰めはいらない、と言うとウソになる、ので。
有難く頂戴するとして、ドロシーちゃん。
私が言いたいのはね。この…トライフォース計画の主任者。
最期のニンゲンは、どうなったんだろう。
どう死んだんだろう、ってことが少し気になっちゃって。
だって私がその人で、その人が私なら―――。」
『私がこの星を救ったように?』
「そう! 私と同じくらい頭脳明晰で、辛抱強くて、行動力と愛嬌があるならさ。
そして何より、私と同じくらい「我が身可愛さ」があるならさ。」
『その人も、移植器を起動させた後、世界を救ったかもって?
まったくもって、クソどうでもいい話だわ。
確かめる手段もないし、その結果がどうだって、私たちには関係ないし。
「その人」だって「獣」を愛してしまったかも知れないでしょ。
どうすんのよ、めちゃプリティでフワフワな小動物だったりしたら。』
「いやだから最初に言ったでしょ。
どうでもいい話だって。」
『…ウィリアムに検証を頼んだら?
あいつ、いつの間にか移植器の航行記録を盗んでたみたいよ。
それを逆に辿れば、「ニンゲンの星」が見つかるかもって。』
「…ウィリアムさんって、あのヒト本当に行っちゃいそうだよね。
生きてるうちに、星の海まで。」
『行っちゃいそうっていうか、行くわよ多分。だって学徒巫女がいるんだもの。
探せば出てくるわよ、空飛ぶ船の設計図の一枚や二枚。
ニンゲンの星に行ってみて、まだそいつらがぬくぬく生きてたら面白いわよね。』
ドロシーの言葉を受けて、思わずキャサリンが晴れやかに破顔する。
心底からおかしそうに笑って、そしてずきりと痛んだ足に引っ張られて顔をしかめた。
「…めちゃおもろい。そしたら私たちの存在はまるで冗談のよう。
ウィリアムさん、ニンゲンに追いつけるかな。」
『…どうでしょうね。これ以上、学徒巫女は生まれない。
ディエクス人が不自然な「手癖」を身につけることもない。
東の人々だって、私たちと同じような虚弱さで産まれてくる。
このあと百年が勝負って感じじゃない?』
百年。
あの時、ドロシーの操る膨大なタイドを受け、それをエネルギーへと変容させて移植器へ送り、
惑星間航行機能を再起動させたキャサリンが、この星に手渡した未来。
やがてニンゲンと同じものになる、自分たちの「余生」。
―――やっぱ、下らない話だったな。
キャサリンはそう思って、窓の外を見る。
ザントファルツを行き交う人々は、傀儡王のもたらした未曾有の厄災など、
まるで無かったかのようにして、今日を壮健に生きている。
それを「自分が守ったのだ」というような自覚、誇りは、キャサリンにはない。
彼女が抱いているものは「生き延びた」という安堵だけだ。
悪意なき天変地異を前にして、それをたった一人の力で跳ねのけたという事実こそあれ、
それを大声で言って周り、色んな人に褒められたい、ちやほやされたい、
というような欲望こそあれど。
根本的な部分で、やはりキャサリンは自分本位の性格だった。
生きてて良かった。
さっさと退院して、ウクレレの練習しよ。
あ、そうだ、それから。
学院のご同類に、一応お礼でも言いに行くか。
…そろそろ、ともだちにしてやってもいいかな、あいつらも。
窓の外を眺め、そんなことを考えながら、
キャサリンの英雄譚は終わる。
===
―――と、このようにして、星間移植器…我が子「トライフォース」は、
必ず安住の地を見つけ、そこに新たな地平を拓くだろう。
この私の天才性により導かれたこの計画は、この私の御手によって遂行される。
分かるか? 云わば私は、君たちの神サマってワケ。
そしたら必ず、必ず建てろよな。私の銅像。いや金がいいな。金がいい。
ゴールデン像を建てろ。君たちの国の中央に。
金の組成については移植器の中を検索しろ。青いエミュレーターの中に全部入ってる。
私たちがこれまでに作り出してきたものの全てだ。必ず再現しろ。
ほんで私の像を一番大きく作れよ、神サマなんだからな。
毎日崇めて、お祈りして、アイドル化して、色んなゲームに出せ。主神として。
それで私は生き続ける。君たちの中でずっと。それでやっと安心だ。
リスクヘッジはおしまい。
これから私は―――、
私は、あいつらを駆除する。
何が「獣」だ。馬鹿馬鹿しい。
害獣駆除は科学の得意技だバカが。
不滅だろうが何だろうが。
必ず奴らを殺す。そして私は生き延びる。
これまでずっと一人だったんだ。
これからも一人で生きていける。
ともだちなんかいらないよ。
私にはウクレレだけあればいいのさ。
それじゃあさよなら、未来のヒト。
君たちの世界を好きになさい。
私は全てを破壊し尽くして、
私の王国をこの星の上に作るのさ。
さよならバイバイ。
…いや、いや待て、やっぱり名乗っておこう。
君たちの主神なんだ、名前はあった方がいい。
ごめんやっぱ名乗らせて。
私の名前は―――、
===
キャサリン - end