■ザヴィアーの狂信者 - 01「暗く湿った書斎にて」

 

薄赤い鉱石ランプの光に照らされた、窓のない書斎。
少女はソファに寝転がり、読書の傍らに会話を続けている。

『なんも問題なし。ぜんぶあたしの「おてて」の上。』

彼女の名はザヴィアー・ゼノプレーグ。その姿の通り、学徒巫女…モドキである。

アイエンティ領の「学院」と呼ばれる研究機関において、
その姿を知る者はいても、その名を知る者は多くない。

彼女が語り掛ける先は、部屋の角。
微弱なランプ光では照らしきることの難しい、闇の淵。
その深海の如き暗闇の中には、
まんまると光る双眸が、ブイのように浮いている。

そこは閉じた一室でありながら、何と「呼吸のし辛い」場所だろう。
全ての言葉が気泡として宙空に消えていく。

いいや、正真正銘、その場所は「水中」だった。
ある種、特別な格式を有するように見えるその書斎は、
隙間なく水を注がれていた。

少女と、それを照らす薄赤い光。
幻想的な童話にも似た世界で。
彼女の言葉だけが、快活な明瞭さを持って書斎に響く。

『…心配性だなぁキミは。
 だいじょぶだって。あのヒゲオヤジならうまくやるよ。
 キミの後継をさ。』

少女の言葉に応えるように、輝く二つのブイがくぐもった声で何かを唸る。
地上の人間にとって理解不能なその呻き声は、しかし少女の嘲笑を誘った。

『それこそ無用な心配だって。もうすでに世界中のモブがドバドバ死んでるワケだし。
 今さら誰が遺るとか、些事だよ些事。』

ピンと伸ばした爪先に、脱ぎかけのスクールシューズが引っかかっている。

『きみの大事な娘たちだって、みーんな、きっと無事に終わるさ。
 …たぶん。きっとね。
 …死ぬべくして死ぬ子を、除いたらね。』

ぬるり、と。
部屋角の深淵から、何かが這い出る。
それほどの巨躯が収まるような暗闇ではなかったハズだが、
しかし、その異形は、天井にベタリと頭をぶつけながら、
書斎の中に現れた。

それは不明瞭な声で、
この世ならざる音によって語り続ける。

「ボク ヤハリ 心配。
 トクニ キャサリン。」

『…わかったよ、ミルミル。
 それじゃあ久しぶりに、旅に出ようか。』

ミルミルと呼ばれたその巨影。
ローブを被った巨大なヒトダコ…とでも形容すればいいのだろうか。
彼の声がくぐもっていた原因は、口元に太くたくわえた、髭のような触手にあるのだろう。

「ザビア 優シイ キャサリン 助カル?」

『しらんけど。とりあえず「したいこと」をさせたげようかな。
 多くを語らないプレイヤーの意を汲むのも…"ゲームマスター"の仕事だからね。』

ザヴィアーの言葉を聞き、巨影は嬉しそうに大腕を振り回す。

「アリガト。」

『いいのいいの。
 きみのお願いは断らない。』

ソファから跳ね起き、巨影の腰元に抱きついたザヴィアーは、
ふと、かつて己がいた暗闇に思いを馳せる。

それは、この場所とよく似た―――、
冷たく、暗い、静かな、そして深く、退屈な場所。

「異災(ゼノプレーグ)」の渾名を持つこの少女は、
ヒトの胎内からではなく、
アイエンティに堕ちた隕石の中から産まれた。

学徒巫女の研究者に曰く、ザヴィアーという存在は「根本的な位相が異なる」という。
生物学的な検証によっても、彼女はヒトと全く異なる組織によって構成されている、と。

あらゆるヒトと「所属するチャンネル」を異にする、しかしヒトのような生き物。
モドキと呼ぶ他にない星海の堕とし児。

彼女にとっては時間も意味を為さない。
老いも死もなく、永遠に似た時間の中で、息苦しい呼吸だけが、連綿と続いていく。

現実に生きながら、その平行線を歩くヒトモドキ。
存在さえ不確かな、大宙の、あるいは深海の少女。
それがザヴィアーだ。

そして、彼女の見上げた視線の先には、
ローブの中から覗く双眸がある。
薄暗く光る、まるい瞳。

吸い込まれそうなほど深く、暗く、
そして優しい眼だ。

―――この書斎より始まるシナリオの主人公は、ザヴィアーではない。

彼女は、自らの掌の上で、
自らが劇作した舞台装置を動かす者、神であることを望む。

かつて「遊戯」の異界知を持つ学徒巫女から教わったという、
テーブルトーク・ロール・プレイング・ゲームに傾倒した彼女の願望は、
ゲームマスターとして、あらゆるヒトの人生を見届けることだという。

そして、彼女が永遠を共にすることを選んだこの怪物「ミルミル」は、
北の学院の創設者であり、その学院長でもある。

これは彼が―――、
「ザヴィアーの狂信者」と呼ばれるようになるまでの物語だ。