■ペイルライダー - 03「祈る者」

 

廃れ、腐り、さらには熱と衝撃によって破壊し尽くされた王都の骸。
かつては教団権威の象徴としてそびえていた「王宮」も、今や存在していない。
それは、旅立ってしまった。

そして、その跡にひとつ。
夥しい量の血に塗れ、右腕以外の全ての肢体と心臓を喪い、惨たらしく潰滅した、一体の人形が仰向けに倒れている。

「ああ…酷くやられてしまったね。この世界はもう「おしまい」かな?」

そんな人形の表情を覗き込み、少し嘲るようにして、翠帽子の狩人が微笑んだ。

『…さあ、どうでしょうね。
 敗者に、それを見届ける権利はありませんよ、ウィル。』

狩人―――、ウィリアム・シャーウッドは、全損したペイルライダーの肢体を眺め回しつつ、
何らかの記録を取り始める。

「これは…ちょっと直せそうにないなぁ
 ごめんね。君はどうやら「おしまい」のようだ。」

その眼差しは、怜悧冷徹な科学者のそれであり、
今この瞬間にも失われつつある彼女の命から、せめて「教訓」を得ようと必死でいる。
そんな科学者の動向には気を留めず、破壊された人形は夢うつつのまま、自らに語りかけるようにして言葉を紡いだ。

『私にとって、忘れられないものになりました。
 彼との戦いは。とても、たのしかった。』

「…それは良かったね。」

『我が主にとっても、これはきっと、刺激的なものだったに違いない、と、
 そう思うのです。あの月の王子は強かった。掛け値なしに強敵だった。』

「そう。…オーケー。
 君の経験値は回収し終わった。
 もう死んでも大丈夫だよ、エレイン。」

ふ、と。
零れた笑みを噛み殺して、ペイルライダーは、たった一本残された右腕を伸ばす。
その指の先で、かつて「星間移植器」と呼ばれた巨大建造物は、
まるで神話か、あるいは冗談のように、その輪郭を喪いながら、
暗き大宙へと放たれていく。

それを見上げて、ウィリアムが歓声を上げる。

「…ああ、あれね。あの解法なら確実だ。
 どこの誰かは知らないが、どうも桁外れの機転と忍耐を持ったヤツが教団の中にいたみたいだね。
 どうせ学徒巫女だろう。彼女らでなければ、このような「オチ」はつけられない。
 そう。世界は腕力や技巧に優れる勇士ではなく、小狡く抜け目ない、小心者の手によって導かれるべきなのさ。」

―――そんなワケがあるか。
「比」にならない。こんな500万人そこいらの、はりぼての世界が。

遥か遠き故郷の大願を乗せ、10億からなる人々の希望を内包していた「方舟」が、
今や粗雑に宇宙へと投げ捨てられていくのを見送りながら、ペイルライダーは内心で苦笑した。
だが、もはや表情を作る余力すら、彼女には残っていなかった。
自らの不死性が、再現性が、恩寵が、徐々に取り上げられていくのを感じる。

彼女が「主」…あるいは「祈る者」と呼ぶ存在が、彼女を使役して、この結末を導いたのだ。
そして、その役割は終わった。既に終わっていた。恐らくはガウの骸を破壊したあたりで、だろう。
「この結末」に不要なノイズを、全て消滅させたことで、彼女の物語は終わっていたのだ。

だからあの戦いは―――、
ルーセントと拳を交えたことは、きっと「末路(エピローグ)」でしかなかった。

―――だけど、あの決着が無かったら、私は不平不満を抱いたまま、死んでいたことだろう。

感謝しなければならない。
私の"終わり"に、あれほど心の踊る死闘を演じさせてくれた「祈る者」に。

「…さて、エレイン。
 これは私個人の…ウィリアム・シャーウッドとしての、
 純粋な興味から湧いた質問なんだが。
 君にとって貴重であろう最期の時間を、そのために拝借しても構わないかな?」

ええ、どうぞ。
長く私のメンテナンスを担ってくれた、小狡き共犯者よ。
最期の一言を、あなたの好奇心に捧げましょう。

「では…君に内蔵された「祈る者」への質問を。
 君たちは結局、私たちにどうなって欲しかったんだい?
 君たちは、遥か遠い海の向こうからやってきて、ここに「自分たち」を再建しようとした。
 それが大目的だった筈だ、だというのに、君たちは―――」

『…たち、ではありません、ウィル。
 一人です。「祈る者」は、ただ一人。
 私を定義し、育て、導いたのは、ただ一人の科学者なのです。
 そう…あの人は、まるで…あなたのような…変わり者、だった…。』

ウィリアムの言葉を待たずして、
かつて「事象渡りのエレイン」と呼ばれたコロセウムの戦士は、その腕を夜空へと伸ばしたまま機能を停止した。
灯火の消えた瞳に、移植器から零れ堕ちる、一条の流れ星が映り込む。

「…なるほど、合点がいった。
 どんな世界にもいるものだね。
 《自分勝手な科学者》って奴は。
 …大いに、勇気づけられたよ。」

遠き異星の流儀によれば、死者はその瞼を落とすことで安寧を得るという。
この星ではついぞ育まれることのなかった文化だが、しかし―――、

ウィリアムは、寂しげに見開かれた人形の目元に手を置き、
その舞台の幕を下ろした。

そして見上げる。
エレインが、無限の「事象(ルート)」を渡り、ついに辿り着いた結末を。

異星の民の、異端の学士。
「祈る者(プレイヤー)」が願い、望んだ未来を。

この星に住む、新たなる原生人類。
即ち、ヒトモドキに手渡された、最初の夜空を。

この星に住む者にとっては、あまりにも些細な真実だが、
それでもウィリアム・シャーウッドだけが、その全てを知り、啓蒙を得た。
ウィリアムはきっと、それを言いふらすようなことはしない、それでも―――、

―――大丈夫さ。我々はきっと、うまく後継する。
そして、やがて星々に名付ける必要が生じた時―――、

「…この星の名前は「コロセウム」にでもするか。」

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ペイルライダー - end