■ロムウェル - 01「ユリーカ・ユネクテス その1」

 

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太古の海洋学者、イブラム・カピタン・コッコの記した「まこと真円なる我が世界(原題:The Wolrd on Round Table)」は、
彼が生涯をかけて探求した「惑星コロセウム」における冒険譚であり、彼の日誌を中心とした全13巻の海獣皮本から成る。

この文献は、ザントファルツ王、カマラ・クリシュニー13世によって蒐集され、同王立図書館に保管されている。
当時の歴史的背景を推察するための貴重な文献であるが、その信憑性―――、
特に「コロセウム戦役」にまつわるイブラムの記述には疑われる部分も多くあり、
記述の一部が真実であるなら、それはザントファルツ王国、そしてトリノ連邦にとって極めて不都合な真実を孕んでいた。
そのため、この文献は「イブラムの禁書」と名を変えられ、現在は厳密に封じられている。

さて、その不都合な真実とは。

この禁書の第4巻には…我々にとっては「神話」に相当する時代の戦争、
「コロセウム戦役」と呼ばれる大きな戦争の「英雄」に関する記述がある。

救世の英雄とされる、その名は「キャサリン・トロイホース」。

イブラムは彼女についてこう記している。

「忍耐強く、知見に秀で、悪の悪たる所以を知り、善の善たる所以を知る者。
 そしてヒトのヒトたる所以を知り、強く、器用で、賢く、美しき者。
 今日まで続くヒトの足跡を守りし者。未来永劫にその名を称えられる者。
 ウクレレの名手。絵がクソ下手。」

彼女の功績とはつまり、考古学、神話史を語るに際して、その名を知らぬ者はいないであろう暗君「傀儡王」に対峙し、その破滅的な企みを暴き、その悪しき威光を地に堕とし、天上に新たなる神話の光を掲げたことである。
ザントファルツ神話体系の主神として今も崇拝されている「太陽神カタロス」のモデルになったこの人物に関して、しかし「イブラムの禁書」には、到底信じられない記述が存在していた。

それは彼女が、
「学徒巫女(オラクル)」だった、という事実だ。

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ヒトの進化を促進し、その本能を刺激し、破壊の牙を授ける少女たち。
今となっては、地表に数多く残る戦争痕を指して「"天啓による傷痕(Oracle Rends)"」と呼ぶことから、その名を知る者も多いだろう。

異界智の貯蔵庫。破壊の申し子たち。蒼き啓蒙の狂信者。
現代に数多の悪名を持つ彼女ら「オラクル」の生態について我々が知ることと言えば、
彼女らは一見して、通常のヒトであるかのように振る舞い、
しかしその内側に「ヒトを狂わせる叡智」を内包している、ということだ。

ザントファルツ内紛、第二次ザントファルツ内紛、ホーエンツォレルン火災、
エスティア併合戦争、ネルザラント独立戦争、カーロ・クレアリア戦争、ニヒト戦役、
ニヒト経済圏内乱、アイエンティ東西戦争、バルカ教導国内紛、そして、世界大戦。

あらゆる争いの影に、彼女たちの姿があった。

ある者は、殺戮のための研鑽を産み出し、
またある者は、狂奔のための啓蒙を産み出し、
そしてある者は、絶滅のための進化を産み出した。

「オラクル」に関して、我々が心せねばならないこととは、つまり、
全てのヒトは、彼女らの叡智、その誘惑から身を守らねばならない、ということである。

―――私は、クレアリア共和圏の歴史家、そして検閲官。ユリーカ・ユネクテス。

「蒼の軍装」に身を包む者である。
それは即ち「オラクル」に関する軍務に従事する者の姿であり、
私の仕事は、古い文献の中にある彼女らにまつわる記述を蒐集し、
その危険性を検め、大衆に向けた書物の禁を制定することにある。

私は「イブラムの禁書」になぞらせていた指を離し、
古王国語辞書を机の脇に除けた。

私がこの、古臭く匂う獣皮の本の群れと格闘を始めてから早三日。

―――、図らずも息が漏れる。
このペースじゃあ、全ての解読と発禁箇所の制定が終わって、
「イブラムの禁書」がその名を取り戻し、ザントファルツに返還されるまでに、一体何ヶ月かかることやら。

すっかり凝り固まった肩と背を伸ばすために立ち上がり、
私は大きく胸を張りながらデスクを離れた。

先ほどまで、カビだか文字だか分からないようなモノをなぞり続けていた指で、
今は、透明な「クレアリアの国境」に触れる。
かつては、地続きの場所に壁と印を立て、国の境としていたらしいが―――。

今となっては「これ」が国境だ。

空中都市国家船「クレアリア・フォウ」から見下ろす「この惑星」は、
78%の海面と、ただ一枚の「超大陸(パンゲア)」のみを有する、およそ自然的ではない姿をしていた。

数多くの書物に記されているように、この星が「神からの賜りもの」だとするなら、
その神とやらは随分と無計画で、そして情緒なく、しかし偏執的な奴だったに違いない。

まるで思いつきのように、テキトーな世界を七日間で拵え、
そして七百年かけて、丁寧に滅ぼした。
その成れの果てが現代だとするなら、あの大陸はまるで「片づけ損なった砂場」だ。

あんな小さな場所でさえ覇権を争って、何度とない戦争を経て、
やっと産み出した「空の居場所」でさえ、未だ我々は奪い合っている。

オラクル。
何故、貴女たちは「恒久的な平和を実現する方法」を知らないのだろう。
「ヒトを争いから遠ざける方法」を知らないのだろう。
「隣人と仲良くする方法」を知らないのだろう。

ああ、きっと。
きっと神様でさえ知らないことなのだ。
だからその遣いである彼女たちにとっても、
知る由もないことなのだ。

「イブラムの禁書」を解読し終えた時、私にも分かるだろうか?

世界を七度焼き尽くした彼女たちが、
いかに生きて、いかに死んだのか。
その道中に何を想い、その最期に何を願ったのか。

第4巻。コロセウム戦役にまつわる記述は、英雄「キャサリン」の他に、
ある一人の人物に焦点をあてた。

曰く、オラクルの守護者。

「ロムウェル・アイゼンシュタイン」は、
ザントファルツ王国の興りに語られる「巨大な鉄人」の名前だった。

彼がもし、私と同じ時を生きていたとして。
そうだったら、私を助けてくれただろうか。

この「空の檻」から連れ出して、
その大きな手で、自由を手渡してくれたのだろうか。

椅子の背を倒し、そんな夢想に心を浮つかせていると、
私の意識は徐々に、現実と背離していく。

ねむ。

まぁ―――、いいか。

時間なら、いくらでもある。
私は、私の青春を、いくらでも無駄にできる。

眠りの淵で見るとしよう。
「巨神ロムウェル」は、どうして「私たち」のような怪物を…守ろうとしたのか。