■ロムウェル - 04「モータル・マリスとヒューマン・チェア その2」

 

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ホーエンツォレルン領の祭事。
ロムウェルの従者が行った調査によると、それはエスティアの「火祭り」に近いものであるらしい。
つまり「火」をタイドの化身として崇め、それがもたらす燃焼や破壊を「恩寵」として賛美する、というようなものだ。

ホーエンツォレルンの場合、その根本にあるものは、領地に伝わる災厄の化身「ラウラ」にまつわる神話だった。

ヒトが入植するよりも以前、この渓谷森林に住んでいたとされる女神ラウラは、樹木に由来する神性だったという。
この「資源に関連する女神」という要素は、ディエクスの多くの村町に共通するものだが、ラウラの場合、それが「入植者を拒んだ」という部分が、他の神話と異なる点だ。

入植者たちはこの哀れな女神を手斧で打ち据えて殺し、カーロの森をヒトのものにした。
ところが、ラウラを失った森は途端に生気を失い、陽光を拒むようにして歪に捻じれ曲がった。
そうして人々は、彼女が「タイドの化身」であったことを知り、同時に、
自分たちが許されざる呪いに罹患したことを知った。

以来、カーロの森に住む者は毎年、ラウラに模した巫女をあつらえ、森に豊穣を祈ることで、その慰めとした。

「―――っていう、まァ、アリガチなヤツだよ。ヒトの都合が形成していった神話。
 この森じゃ、女の子の名前はほとんど「ラウラ」なんだと。」

報告を終えた「従者」は客室の壁に背を預け、ポケットに手を突っ込んだまま斜に構えている。
黒いセーラーにスカートという出で立ちからして、彼女はザントファルツの学徒巫女であることが分かる。
そして、その首に巻かれた白いストールは、毛糸の量産品ではないように見える。

その背丈は年不相応に高く、手足はしなやかだ。
瞳は粗賊の如く、強欲そうな紺碧色の気質を帯び、頭髪は濡れた鴉羽のような不吉さだった。
そして、暗く湿った唇だけが薄赤い。

「ほんで、それが巡り巡って、今や"殺人興行(デスゲーム)"なんだとよ。」

引き攣ったように嘲笑する彼女の口元に、
ぎらりと並んだ歯はまるで、すべてが「犬歯」であるような異形だった。

彼女の学徒名はモータル・マリス。
ロムウェルが今回の「旅行」に同行させた、唯一の従者である。

そして、彼女が一日をかけて調査した内容によれば、
ホーエンツォレルンで行われる「祭事」は、今や神事の形式を離れ、
「ラウラの化身」なる執行者によって、生贄を望むものに変貌しているらしい。

『…いかんいかん。いかんな、それは。』

ロムウェルはベッドに腰を下ろし、そして両手の平で顔を抑えつつ、その指の隙間から「招待状」を凝視している。

数年前、今は亡きホーエンツォレルン領主から送られた招待状に書かれていた内容、
それは「自分の子を買い取って欲しい」という、驚くべきものだった。
彼は我が子の内側に、一体何を見出したのか。

「…ここのオヤジが死んでから向こう、祭事の盛況ぶりは過去に類を見ないんだと。
 見学者から金を搾り取ってるワケじゃあねえらしいが、そもそも、こんなトコまで「足を伸ばせる」奴らだ。
 金持ちがこの街に宿泊して落としていく外貨だけでも、領民にとっちゃ万々歳な稼ぎなんだろうよ。」

―――その代わりに、領民を生贄に捧げたとしても、か。

亡くなった領主殿には、まったく申し訳が立たない。
だが、受け取った時点でこの招待状、いや「訴状」の封を切って、この森に赴いていたら。
この身はどうなっていたことか、定かではない。
きっとわしは、学徒巫女の何たるかを理解せぬまま、ことに首を突っ込み、そして…。

『ご苦労だった、マリス。
 今晩、その祭事が再び行われるというのならば。
 わしの為すべきことは定まった。あとは選択するだけだ。』

ロムウェルは「学徒巫女」を巡る探訪が、時に危険を孕むことを知っていた。
数か月前、東方エスティアの最果て、港町カウロンでマリスと出会った時もそうだった。
彼の背中にはその際に負った、決して癒えない刃傷が無数に刻まれている。

「学徒巫女」の中には、倫理と無縁の者がいる。
自らに降臨した「大いなる智慧」によって、その人間性を歪められた者がいる。
そして、彼女らを囲う人々もまた、時にその狂気にあてられるのだ。
未知なるものは、人を狂奔させる。

故に見定め、時として「選ぶ」必要がある。

ホーエンツォレルン姉妹が正真正銘の「巫女」だったとして、
それをどのように扱うべきか。あるいは、生かしておくべきか、否か。

学徒巫女の価値を知り、その存在を守護し、その恩恵に与るロムウェルは、
その存在がもたらす災厄から、人々を守る義務をも兼ねている。
少なくとも、彼自身はそう自戒していた。

低く唸るロムウェルを後目に、指の関節を鳴らしたマリスは、悪びれも無さそうに言う。

「ま、今晩何人か死ぬってんなら、それを見てからでも―――、」

『いや、それではダメだ。
 知恵を貸してくれ、マリス。』

一瞬、機先を制されて驚いたような表情を浮かべたものの、
マリスは、その言葉を待望していたようだった。
彼女はとびきり嬉しそうな、そして凶悪な笑みを浮かべ、ロムウェルの巨大な肩に二の腕を載せる。

「…いいとも。あんたが選ぶべき問題はたったひとつだ。
 あの女どもを「処分する」と判断した時、奴らと対峙するのは誰か、それだけの選択さ。
 なあ、お優しい豪商殿。あんたにも娘がいたらあれぐらいの年か?
 そういう女の首を、その指でへし折るところを想像してみな。」

値踏みするようなその声色に、ロムウェルは石のように唸る。

『…必要であるならば、それは、わしがせねばならぬこと。
 巫女がヒトに害を為すならば、それを知るわしが、ヒトを守らねばならぬ。』

「いいや不正解だ。
 旦那、あたしを連れてきた意味をもっかい思い出しな。
 奴らの使用人が「恐るべき傀儡」だ、と気付いて知らせて終わりか?
 間者の真似事させて、情報集めさせて終わりかよ?

 違うだろ、こう言うべきだ。
 "その小狡い脳みそ"を貸してくれ、"その残酷な指"を貸してくれ、マリスちゃん。」

ロムウェルは岩か鋼鉄のように固まったまま、
こめかみに一筋の汗を流した。
それは、マリスの提案に対して、未だ明確な答えを出せない苦悩によるものだった。
マリスの言う通り、ロムウェルが彼女を連れてきたことには二つの意味がある。

一つは、彼女が言ったように「間者の真似事」だ。
マリスには、人の目を忍んで駆け回り、情報や知見を集める技能があった。

だがもう一方、彼女という「衛士」の本質。
それは「誰でも犠牲にできる」という、根本的な悪性にあった。

ロムウェルは自らの弱さを恐れ、恥じ、忌み嫌いつつも、
それでも、自らがその手を、うら若い少女の首にかける瞬間を想像するだけで吐き気を催した。
その可能性を脳裏にめぐらせる度に、自死に至りかねないほどの絶望が、心臓の内側を打った。
それは時に「学徒巫女」という存在を知り、それに関わろうとした、過去の判断を悔やむ程に。

巨躯を丸めたロムウェルは、その意気を失っている。
消沈した彼の姿は、まるで路傍の岩か何かのようだった。

一方で、マリスは犬歯ばかりが並んだ異形の口でげらげらと笑う。底抜けに楽しいからだ。

彼に為し得ないことを代行する、自らの献身的な健気さに。
「殺人」という咎を、自分のような女に押し付けざるを得ない、哀れな彼の脆弱さに。
マリスは、まるで酒に酔うような快感を覚えていた。

だからこそ、彼女は「悪意(マリス)」を名乗っている。
触れるもの全てを、貴賤なく殺し尽くす。
「致死性の悪意(モータル・マリス)」であることが、何よりもロムウェルを助けることを知っているのだ。
多くのヒトを守るため、たった一人のヒトを殺せない、この哀れな英雄にとって。
悪辣さ、倫理との縁の無さ、狡猾さ、残酷さ、その全てが。

「理想の配偶者(ベストパートナー)」であることを、彼女は知っている。

『…最悪の場合、だ。
 言葉も通じず、抑制も利かず、暴走も止められず、人々の眼を醒ますことも敵わず。
 そんな最悪の場合。ここに悪政を敷く支配者を、討滅する他にない、と判断した場合。
 …マリス、おぬしの力を、貸して欲しい。』

その言葉を聞いて、マリスは上唇をぺろりと舐めた。

「了解さァ~~旦那、高く貸すとも。
 …そいじゃ、お約束も終わったところで、このオラクル様がありがた~い知恵を授けよう。
 今夜、たった二人の貴族を殺すだけで、この馬鹿げた領地の狂った祭事に終止符を打つ方法をね。」