■ロムウェル - 08「モータル・マリスとヒューマン・チェア その5」

 

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ラウラ・ホーエンツォレルンを指して「人形」や「人造人間」と一言で呼ぶのは容易い。
だが、その実態を理解できるヒトは、恐らくフロールを除いて、この星には存在しないだろう。
それに用いられた技術群は、異界智の中でも異端。
奇才を有した変人が、何十年、何百年という研鑽を経て到達した、倫理無き秘中の秘であるのだから。

人工筋肉、人工血液、アルミニウム神経網、強化外骨格、軟化プラスチック仮設内臓系、軟化テクタイト接合人工皮膚。
有指向性極小アルミニウム空気電池、電圧加速器、無線無形γ脳波受信膜、ルミノコン合成骨・毛、イーサリアル縫合・抜糸。

列挙すればキリがない程の技術を併合して造られた、この「生き物」は、ヒトと全く相違ない活動が可能だ。
喋ることも、笑うことも、自分で考えることだってできる。感情は希薄だが、ヒトと同じように感じることもできる。
そしてヒトよりも遥かに素早く、そして力強く動くことができる。

ゆえにフロールは、完成した自らの姉、ラウラを目にした時、それこそが「人間」であると定義した。
自分たちが「ヒト」であるなら、これは「人間」だ。
より完璧で、獣と混ざる部分のない、純然たる霊長の姿だ、と。
彼の中で妄信は募っていった。

元来、人間はこうやって増えていたのだ。
完璧な理論と、完璧な技術によって、理想的配合によって、複製を続けることが「繁殖」だったのだ。
なるほど、ならば頷ける。自分たちヒトが、獣との混ざりものであり、未熟な生命体であることも。
己の肉体的欠陥も、親族らの精神的欠陥も。

人間の前では、全てが些事だ。
だからあの時、姉さんは笑っていたんだ。

地表、祭壇の上。そして、
地下、石室の中。

フロールとラウラ。
ヒトと人間。

その恐るべき混成獣(キメラ)が、マリスに対して牙を剥く。

フロールは、両手に「狼」を作って口をぱくぱくとさせる。
それはラウラを、より直接的に操縦するモードへと切り替える所作だった。
そうしてさらに、石室を監視する鏡を、全て自身の脳裏へと接続する。

フロールが有する異界智の中で、最も先進的で実用性のある技術は、これらの操作を完全な無線で行うためのタイドの操縦法だろう。
それは、かの教団、かの教皇のみが可能であると言われる、タイドを意のままに従える行為に等しい。
仮にフロールが王都の生まれであったなら、その技術を用いてコロセウムに挑むことだって可能だったに違いない。

しかし、そうはならなかった。
彼は生まれながらに持ち合わせていた、血の因果に殉ずる定めにあった。

そして、それを遂行するため、ラウラはその左手にも手斧を持つ。
鈍重な二振りの斧。神の躯体を以てしても扱いづらいその武器は、しかし「神器」であった。
フロールが賜った知識の中には「銃」や「毒」だってあった。
しかし、「森」が斧を選んだ。
フロールを呪うこの地の束縛が、女神の凶器を定めたのだ。

故に殺法もそうなった。

ラウラは右腕を掲げると、力任せに前進する。
接触⇒伐採。
あまりにも単純なメソッド。

マリスは、半歩だけ左脚を引き、体を左方向に開いてそれを待つ。

世間知らず、という言葉を使うつもりはない。
この世界において、世間を知ることはあまりに難しい。
まして、学徒巫女の脳内を探ることなど不可能だ。

―――だからエドワード、いや、フロール。
あんたは別に、悪くない。

振り下ろされた右の手斧が、マリスの、ぴんと跳ねたまつ毛に触れたその刹那、
その直後に顔面を引き裂く筈だった手斧の刃は、大きく、そしてゆっくりと、マリスから遠ざかっていった。

確かに、人形が持つ長所のひとつだろう。ヒトとは異なり、肉体への負荷、ダメージを一切考える必要がなく、
それに伴って脳制御によるリミッターを外し、理外の膂力、俊敏性を発揮できる、という部分は。

しかし、それと同じような長所を、目の前の女学生ひとりが「持っているわけがない」と断ずるのは早計だ。
そして、ヒトのそれを昇華させた人工筋肉が発揮する膂力を「上回っているはずがない」と断ずることもまた、同様に。

単純なメソッド。
受けてから⇒返す。

紺碧色に塗られたマニキュアが、電灯の光を反射する。
描かれた五条の軌跡は碧く。

マリスはただ、シンプルに、左の拳打をラウラの胸殻に見舞った。
完全に前のめりの体勢だったラウラのベクトルを、一撃で反転させるその重量、その確度。
目前で行われた、奇跡のごとき拳打を前に、フロールは離れた場所にいながら、鼻の頭に何か熱いものを感じた。

そうして、一瞬遅れて、ようやく音がやってくる。

ヒトが稲妻に打たれるような音。
陶器が投げ割られるような音。

石室を覗く鏡の「時差(ラグ)」のせいもあり、
マリスが何をしたのか、見えた観客はいなかった。

唯一、フロールだけがそれを見た。
女神の手斧が顔面に触れる直前まで、不動の姿勢を取っていた女学生が、
そこから、刃が皮膚に触れるまでの「合間」に、左の拳を女神に突き入れたのだ。
フロールの鼻から、一筋の血が垂れ落ちた。

肉体にダメージがあるわけではない。
しかし、ラウラと接続されていた脳にダメージがあった。
それはラウラから送信された、爆発的なフィードバックによるものだ。

処理しきれない、理解できない。
およそヒトのそれではない。

なんなんだ、
一体、おまえは―――!

『このカワイさ見て分かんねえか?
 "学徒巫女(オラクル)"だよ。』

言葉の意味を咀嚼するより速く、ラウラの上顎が横合いから蹴り飛ばされて弾けた。
そしてその躯体が、石室の壁を目がけて吹き飛ぶよりも早く、
火花を伴って地面から跳ね上がった、三日月のごとき蹴撃が、ラウラの首筋を切り裂く。

マリスとしては「それで終わり」のつもりだったのだが、
生憎と、女神は首と胴体を繋げたまま、当初の慣性に従って石室の壁に激突した。

小さくため息をついたマリスは、ローファーの先で地面を軽く叩く。
そして、土煙の中で蠢動するラウラを一瞥してから、石室の鏡を見上げて声を張った。

『ようく見とけバカども!
 お前たちの領主を、これから殺す!』

歌うように伸びやかな、はつらつとした声色が地上に広がる。
そして歓声が、民意が応える。
何も問題はない。それがルールだ。
女神か入植者か、どちらかが血に塗れることが必要だ。

誰しもが既に気づいていた。
これまでの「夜」とは違う。
ただ血が流れ、命が失われるだけではない。
結末が予想できないことが、これほどの歓喜とは!

観客たちが腰を浮かせて沸き立つのと相反して、
フロールだけは震えて蒼褪め、爪を噛んだ。

「ダメだ…ダメだ、ダメだ、姉さん…!」

そうして慌ただしく祭壇上から走り出す。
地下墓地に繋がる隠し通路に向けて。

先の一撃で、ラウラとフロールを繋ぐ制御は不調をきたしたのだろう。
ラウラの左右の目線、そして顔の向きが不確かに乱れ、ついにそれは「人造物」であることの現実味を見せた。

―――さて、フロールの「おびき出し」も済んだ。
奴がこの場所に到達するまで、どれくらいかかるかは知らないが、
どうせまとめて殺すのだから、先に姉の方だけ"壊して"しまっても、何も問題はないだろう。

マリスはそう結論して、石室の壁に歩み寄る。その時、

「――――ヲ」

ラウラが何か、言葉を発したことは分かった。
しかし何を言ったのか、それを理解するためには、脳の容量が足りなかった。
マリスは、自身の首元に肉薄したラウラの歯、プラスチックの牙を回避するために、
そのひと時の全神経を集中させていたからだ。

女神は、まるで螺旋する弾丸のように。
あるいは水中で得物に喰らいつく肉食魚のように。
恐るべき瞬発力によって壁を蹴り飛ばし、マリスへと飛び掛かっていた。

それを迎撃するでなく、防ぎとめるでなく、
回避(スルー)してしまったことに対して、マリスは小さく舌を打つ。
彼女にとって、それはあまりにも些細な問題だったが。
しかし彼女の雇い主は「そういうこと」を重んじる性格だった。

―――やっちった。
そういやまだ、この部屋にいたな、一匹。

振り返った先で、女神の牙が、逃げ遅れた少女の胴体に突き刺さっている。
悲鳴を挙げる暇さえなく、突如として訪れた過剰な暴力に対して、
少女は狼狽え、喀血することしかできていない。

女神は咥えていた少女を乱雑に放り投げると、マリスの方へと向き直り、そして呟いた。

「豊穣を」

フロールの制御を離れた「森の女神」は、その薄っぺらく、ちっぽけな自我を発露させていく。

「収穫を」

それは、フロールによって刻印(プログラム)された「血の宿命」か。
あるいは、フロールとその家族を、最も間近で観測し続けて得た「家族の絆」か。
実態に大差はないが、しかしマリスは、その僅かな差異にこそ大いに興味をそそられた。

―――このアルミの塊を指して「家族だ」なんてのは、フロールの世迷言として済ましゃいいことだが。
仮にこいつ自身が「自分はフロールの姉だ」なんて宣(のたま)い始めたら、果たして旦那はなんて言うかな。

たった一人の肉親を取り上げられてしまうフロールが可哀想になって、また悩み始めるのか。
それとも、これまでの犠牲者のことを想って自分の頬を張り、苦悶の表情でラウラを壊すのか。
ああ―――。

その顛末を見守るのは、愉しみだ。

マリスは薄笑うと、腰を落として構えを取る。
それは、これまでの無形無想の佇まいとは違う。
戦うための「術理」を行使せんとする立ち姿だった。

「伐ッ採を!」

不規則に乱れた声色で叫んで、裂けた顎をがぱと大きく開いて血を滴らせる、その異形。
先ほどまで有していた美しさとは決定的に背離する、魔獣のごときその様相。
その両手には、それぞれ深紅の手斧が握られている。

そして、獣は駆け出した。

マリスに駆け寄りながら上半身を捻り、左右の手斧が竜巻を成す。
既に上半身と下半身に「人間的同期」はない。
ヒトよりも遥かに「融通の利く頸椎」を持つラウラにとって、一双の嵐と化すことは簡単だ。
そのために用意されていたかのように、ラウラの腹部は球状で、回転の軸となるに不足ない構造をしていた。

下半身は敵を目がけて駆け、
上半身は荒れ狂う嵐を成す。

そうして彼女はあまりにも濃密な、惨殺のための回転鋸と化した。
回避するためには、左右に大きく距離を取るしかないだろう。

しかしマリスは、先ほどの失敗について、己のプライドに、ちょっとした傷がついたように感じていた。

―――噛まれた女は部屋の隅に向かって這いながら、伏している。
まだ意識はありそうだ、手当すれば助かるかも知れない。

一方で、この人形。

回避に徹していれば、そのうちこいつは体勢を崩すだろう。
さっきので骨格の強度は分かった。次は頭蓋を叩き砕いてやる。
それで終わりだ、しかし。

そうこうしているうちに、そこの女が巻き込まれて、バラバラにされてしまうのはマズい。
もうすぐここに旦那が来るってのも最悪だ。

あたしは職務に忠実で、真面目な従者なんだ。
何でもそつなくこなす、旦那にとって代えの利かない、必要不可欠な存在なんだ。

なら…これ以上の「回避」は「怠慢」だ。

―――マリスは深く息を吸い込むと、その小さな、薄赤いくちびるをぺろりと舐めて、
女神に向かって体勢を作る。両手を床に、片膝を立て、腰を少し浮かせて正面を見る。

その構えが示すところは前進。
圧倒的な攻撃範囲、破壊圧を有して接近する死の嵐に対して、マリスは「前進」を選んだ。

右の斧が宙空を裂くと同時に、左の斧がその隙間を埋める。
人間胴の動きを超越した回転軸によって、その速度は際限無く加速していく。

そして、両者の距離が零になる直前、
マリスの後ろ足、黒塗りのローファーが、石室の床を蹴り砕いて消え失せた。

高速回転、破壊の嵐。
だが、その攻撃がいかに高速であれ、その威力がいかに圧倒的であれ、
同時に存在する斧が「二振り」である以上、
その嵐の中には、確実に「小さな人体ひとつを潜り込ませる余白」が存在する。
必要なものは予測、速度、そして完璧な肉体制御。

言うは易し、そして行うも易し。
マリスは刹那のうちに、嵐の中枢をすり抜けた。
鋼鉄のかかとで踏んだブレーキが石室の床を削って火花を散らす。

その背後で、女神は自らの上体が浮遊していることを知覚した。
そうして、一切の勢いを殺すことができないまま、その顔面から壁面に叩きつけられる。
一方で下半身は体勢を失い、路頭に迷って膝を折った。

およそ人間であれば、死を免れないほどに損壊した女神の姿。
上下を切り離されたラウラは、今度こそ完全に動かなくなった。

およそ布の質感からは程遠い「白銀のストール」が宙に棚引く。
マリスは、両断されたラウラに背を向けたまま、緩やかな動作でそれを巻き直す。
たった今、彼女を寸断するために用いた、その「刃」を。

彼女らの戦いを目の当たりにして、全ての人々は言葉を失った。
そして、そのメカニズムを理解できる者は、この場には存在しないだろう。

それに用いられた技術群は、異界智の中でも異端。
奇才を有した変人が、何十年、何百年という研鑽を経て到達した、倫理無き秘中の秘であるのだから。

龍形拳、虎形拳、猴形拳、馬形拳、鶏形拳、鷂形拳、燕形拳、蛇形拳、鷹形拳、熊形拳。
心意六合、及び大小八極、複合暗器術、歩法百選、両賀忍法。

学名、モータル・マリス。

極東エスティア、その港町でロムウェルが出会った、この学徒巫女が司っていたものは「あなたを殺すための100の方法」。
即ち「殺法」の学徒巫女だった。