■太陽の御子 - 02「新世界の裁定」

 

太陽の御子に世界の進退を預けた人々。
もちろん、彼らにだって、彼らなりの考えがあった。

アンジェラにしてみれば、太陽の御子に全てを投げ打ったつもりはない。
太陽の御子の能力は、紛うことなき神のそれだが、しかし所詮は端末だ。
斜陽の塔による制御から、完全に解き放たれた訳ではない。
結局のところ、斜陽の塔の現マスターユニットであるルーセントがそれを望むなら、
御子の存在と人格は、再び無に還る。
神の手綱を握るものがルーセントである以上、世界の進退も彼に依存している。

ザヴィアーにとってはそもそも、世界の進退などどうでも良いのだろうし、
彼女とその従僕は、地表が全て吹き飛んだとしても、平然と次代を生きていくだろう。

そして傀儡王、ルーセントは決めかねている。
世界を一度リセットし、かつて繁栄を極めたという前時代を再現するのか。
それとも今、この大地の上で、狂ったタイドと共に生きる人々を尊重し、彼らの生を見守るのか。
あるいは全てを洗い流し、この惑星を、無の大穴へと突き落とすのか。
何を基準に、どう選ぶべきなのか。何故自分に、そのような権利が握らされているのか。
何もわからないまま、しかし苦悩している。

さて、それぞれの思惑が、太陽の御子にとっていかに「つまらない」ものだったとしても。
彼はやがて、その力を振るわざるを得ない。

王宮、あるいは斜陽の塔。
その地下部分が地表への「侵攻」を始めた時、その壮観な光景に、心躍ったことを覚えている。

太古、この惑星に突き刺さった「星間移植器」である斜陽の塔は、
その姿を元来のものへと近づけながら、その頭頂部を、遥かな大宙へと伸ばし始めている。

「太陽」を創造するためだ。

タイドを結集させ、暗天のダークマターより出力し、星々の熱を束ね、
地表からそう遠くない上空に、人工の太陽を造り出す。

それが権能を振るえば、その熱が、風が、衝撃が。
地表の一切を剥離させて、星を原初の姿に戻す。
その後に大地を張り替えればいい。
大気を再び組成すればいい。
生命の種を撒けばいい。

エスティアのタイドによって生命を壮健に育て、
ディエクスのタイドによって技術を伝搬し、
アイエンティのタイドによって知識を授け、
長い時間をかけて、彼らの故郷は「再現」される。

知られざる第四、月(マインド)のタイドが不要なタイドを喰らって処分し、
その終わりに、第五、太陽(ヴァイタリ)のタイドが、「星間移植器」そのものを破壊する。

その後に「神」だけが残り、ヒトではなく「人類」の後日譚としての創世が始まるのだ。

太陽の御子の意がどうであれ、やがて斜陽の塔が展開を終えた時、人工太陽は完成してしまう。

そうなればあとは、
「世界を滅ぼして再建するか」それとも、
「世界を滅ぼして再建しないか」という、
二つの選択肢しか存在しなくなる。

ゆえに、時勢は逼迫(ひっぱく)していた。

太陽の御子は、選評者としての存在理由(レゾンデーテル)に基づいて、ヒトの姿を観測し続けてきた。
生まれてからそう時間は経っていないが、それでもいくつかの人生を見た。

悲運への復讐者。
百年の孤独を生きた者。
自らの命に縋る知者。
自らの命を磨く獣。
儚き者らの盾。
語るべきではない悪霊。
死して贖罪に従事する者。
宿命に恋する聖女。
そして、無垢にして愚かなる王。

サンプルとしての数は到底足りるものではないが、
それでも御子は、思い悩み、戦い死ぬ、彼らにこそ「選択」する権利があるのではないか、と考えた。

もちろん、彼らが「世界の代表」なんてことはあり得ない。
この世界には、語られるべき、多くの無辜の民がいる。
彼らの価値は全て等しく「たったひとつの命」であり、
彼らを取りこぼすことは、即ち「結論」の純度を下げる行為だ。

それでも、時間がなかった。
太陽の御子が造られた時、既に滅びは始まっていたのだから。

委ねる、という行為が、いかに自らの存在理由に背離していようとも、
御子は、人知れず、その方法を選択することにした。

来たる終末の日、自らの前に立つ者。
その者を次代の後継者と見定め、その意志を尊重する、と。

そして、その判断が、この世界への「無関心さ」からきていることを、
太陽の御子は、まだ自覚していない。