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熱風の逆巻く闘技場。
斜陽の塔、その頂点に位置する大祭壇。
塔の全身を駆け巡る、血流にも似たタイドの奔流が、
結集して熱を成し、風を成す、その中核。
天上には、暗黒の太陽が燃え盛り、輝いている。
それはゆっくりと時間をかけて膨らんでいるように見え、
やがては地表の全てを飲み込んでしまうほどの神威を湛えていた。
その直下へと、確かな足取りで向かう者。
王の外套は既に無い。
あの「医者」に与えてきた。
王の冠は既に無い。
あの「聖女」に与えてきた。
そうして露わになった、年不相応の壮健過ぎる肉体。
自律行動できるマニピュレーターとして調整された、完全なる肉の器。
ルーセントは「あの時」と同じ、
身軽な闘士装で祭壇に赴いた。
その姿は、ただ一人の戦士に等しい。
そして彼が対峙するものは―――「神」だ。
斜陽の塔を完全にコントロールする、マニピュレーターの完成形。
世界に満ちる全てのタイドを司るもの。
この世界の「裁定(ルール)」そのもの。
太陽の御子と名付けられたその存在は、
晴れやかに笑ってルーセントを迎える。
『―――世界のはじまりによくぞ来た、新世界の理を紡ぐ者。』
あくまで形式通りの、芝居めいた御子の言葉に対して、ルーセントは少し照れ臭そうにしながら、人差し指で鼻の頭をかいた。
「…名前をね。」
『…?』
「キミに、名前をあげようと思って。
アンジェラさんが考えてくれたんだ、キミの名前。
気に入ってくれるといいんだけど。」
太陽の御子は微笑みを貼りつけたまま、ルーセントには見えない位置で、拳を握り直す。
『…それはどうも。
だけど、それを僕に伝える必要はありませんよ。
貴方の選択は既に知っている。
僕が名前を賜ったとして、それを必要とする者はいなくなる。
貴方はこの星から、全てを奪い去ると決めた、そうでしょ?』
この「コロセウム」が始まるよりも前、既に太陽の御子は決していた。
やがて斜陽の塔を勝ち昇った者。
その願いを叶えることが「神の裁定」である、と。
そして彼は、それがルーセントであることも予見していた。
これから叶えられる勝者の願い、それは―――、
『マニピュレーターにとっての正しき目的を果たすこと。
この塔の機能を正常に再起動して、この星の上に全てを再現する。
そうですよね。それが「彼女」の「本来の目的」だったのだから。』
始まりの少女。器の姫君。
今やその姿、その在り様を語る者は誰一人としていない、最初の「神」。
異界に産まれ、この塔に積載されていた最初のマニピュレーター。
彼女の願いを叶えるために、ルーセントの自我は産まれた。
だから、今こそ、彼女の願いは叶えられる時がきたのだ。
御子は小さく頷き、両の手を空にかざす。
それを割って、ルーセントが口を挟んだ。
「あ! いや、違うんだ。ごめん。ちょっと変わったんだ。
僕の願い事は、キミが今言ったことと、少し違うんだ。」
その言葉を聞いて、太陽の御子から表情が消える。
僅かな驚きと、僅かな好奇が、彼の口を薄く開かせた。
同時に、自身の予見が外れたことによる苛立ちもまた、彼の顔に表れた。
「ガウが…ぼくのお兄ちゃんがね、昔言ってたんだ。
この世界はヒトの、楽しいとか、悲しいとか、そういうものの、先を歩くための場所だって。
その意味、ぜんぶは分からないんだけど。
今すぐ、全部無かったことにしちゃうのは…その。
アンジェラさんがよく言っていた「正しいこと」じゃあないような気がして。
…あの子のいない世界なんて。
ぼくにだって必要ない…って、そう思ってた。
あの子が、この場所を、ぜんぶ真っ白にするために産まれたのなら、
それをぼくが代わることが、ぼくの「まんなか」にあることなんだと、思ってた。
けど、時間が…日が、昇ったり、沈んだり。
それを繰り返してる間に、どうしてか、ぼくはこの世界に必要とされはじめた。
彼らにとってぼくは、どうやら「絶対ここに居なきゃいけないもの」らしかった。
庭師のハイネ。道化のザヴィアー。
ガウと、ぼくの仕事を代わってくれたキャサリン。
もしかしたら、この塔から産まれた「兵士たち」だって、
ぼくの命令を必要としていたのかも知れない。
ぼくにとってのあの子のように、彼らの「まんなか」には、ぼくがいたのかも知れない。
…そして今、ぼくの「まんなか」には、
あの子と同じくらい、アンジェラさんがいるんだ。」
ルーセントの足りない言葉を推測で補強しながら、
太陽の御子は、しかし肝心の部分が分からないままでいた。
苛立ちが肌を焼くように感じられた。
彼がルーセントに向けた視線はまるで、炉端で死に絶えた害獣の骸を見るように。
外見の幼さとは乖離した、決定的な侮蔑を含んでいた。
―――このバカは、何を言ってるんだ?
誰も彼もが、「先」を望んでここまで来た筈だ。
そんな誰も彼もを薙ぎ倒して、その命を取り上げて、
その責務と覚悟を負って、僕の前に立った筈だ。
それで今さら、何が「正しいこと」なんだ?
お前にとっての「正しいこと」が、
お前以外にとっての「災い」でしかないことを、
お前はよく知っている筈だろうに。
そうしてお前は、世界の半分を粉々にしたんだろうが。
『…それじゃあ、どうするんですか?
僕はこの権能を振るうために生まれた。
それを「しない」ことは出来ない。
武器を手にした貴方たちが、それを振るわずにいられないのと同じです。
貴方は僕に、何を願うんですか?』
「キミはさ、その、ぼくの弟か、子供みたいなものだから―――。」
続けようとしたルーセントの足元で、
灼熱の閃光に焼かれた床が溶けて、穴を造る。
限界だった。
これ以上の苛立ちは、自我の保持に支障を来す―――、と、太陽の御子は思った。
そうしてついに、声が出た。
「彼自身」の声が。
『…薄ら寒い。退屈だ、そういうのは。
誰も彼も、僕の姿形、このサイズで神威を侮る。全くもって哀れだ。
失望しました。所詮は教団の傀儡。貴方が正しき願いを告げられる筈もない。
未完成のマニピュレーターが、僕の「創造主(おや)」だと?
お前はプロトタイプでしかない。愚かな前例だ。
神の器として造られながら、その責務を果たさず、
挙句暴走して「誰の願いも叶えられなかった」失敗作に過ぎない!』
自分の声が「叫び」に近しいものになっていると気づいた時、
太陽の御子は、己の胸を焼く違和感に身を震わせた。
彼は、装置であるはずの己を俯瞰する。
痛むはずのない胸を掴み、理外の発汗を伴い、
喉の渇きを感じながら、己のスケールを再計測する。
「聞いて。
ぼくの「願い」は―――、」
言わせるか、そのような世迷言―――!
太陽の御子が、突如として戦端を開く。
熱情に焦がされた両手が、タイドの奔流を操って爆ぜる。
―――お前は、どうしようもないバカだ。
同じなんですよ、ルーセント。
そのために造られたものが、
その役目を果たせなくなるってことは。
「それ」が、自身を俯瞰する心を持っていた時、
「それ」が思うことは―――!
楽団指揮者のようにして、
両の手を払う御子の動きに呼応して、
「鮮烈な輝き」そのものと化したタイドが祭壇上を駆け抜ける。
それは魔術でも、技術でもない。
タイドそのものを燃やして産み出された「熱」が、
自らの存在理由に則って、
「そのためだけ」に地を焼き払う。
―――そもそもからして、何もかもが勘違いなんだ。
僕以外に、あれが「呪い」であることを知る者はいない。
そうとも。
塔の記録(ログ)を遡ることでしか知り得なかった「呪い」。
「あの子」が無知な貴方の手によって籠の外に出され、
衰弱して死に絶えるまでの間、何を想い、何を為したのか。
己が未完成であることを知り、嘆き、
貴方にそれを救う力がないことを怨み、呪って、
自分の願いが叶わない世界を破壊しようと試みたのは、
「あの子」に他ならないというのに。
タイドは制御を失って暴走したのではない。
絶望した彼女自身が最期に命令したのだ。
地を駆けよ、空を往け。
その尽くを喰らい尽くせ。
我が侭にならぬ天地を鏖殺せよ、と。
その呪いを自らの罪であると勘違いして、
そうして「その願い」を口にするのか。
貴方は僕にこう言うのか。
―――共に死のう、と。
『一人で死ね、ルーセント!
愚かなる王、神の出来損ない!』
轟音と共に震える大気を切り裂いて、
純白にまで高められた熱閃が跳躍する。
そのいずれもが、太陽の御子の視界を遮るかのように奔り、
世界を編み込むかのように、塔の頂上を切り裂いていく。
『僕から神威を取り上げることは許されない!
先史人類など関係ない! 現世人類など知ったことか!
僕は願いを叶える装置だ、そのためにお前の断片から産み出されたんだ!
それをせぬまま、消えられるか!
僕は、僕は―――!』
そこまで叫び散らして、太陽の御子は再び自らのスケールを計測する。
俯瞰する心ではない、それは、自らの内側から滲みだしたものだ。
僕は何に怒っている?
ルーセントの愚かさか?
いいや、違う、これは、
自らの思うままにならぬことへの苛立ちだ。
「あの子」と同じ、これではまるで「子供(ガキ)」のような―――、
こうまでして、僕は―――、
ここまで怒り狂うほどに僕は、誰かの願いを「叶えたい」のか…?
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