■太陽の御子 - 04「願い」

 

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熱風の逆巻く闘技場。

斜陽の塔、その頂点に位置する大祭壇。

塔の全身を駆け巡る、血流にも似たタイドの奔流が、
結集して熱を成し、風を成す、その中核。
天上には、暗黒の太陽が燃え盛り、輝いている。

それはゆっくりと時間をかけて膨らんでいるように見え、
やがては地表の全てを飲み込んでしまうほどの神威を湛えていた。

その直下へと、確かな足取りで向かう者。

王の外套は既に無い。
あの「医者」に与えてきた。

王の冠は既に無い。
あの「聖女」に与えてきた。

そうして露わになった、年不相応の壮健過ぎる肉体。
自律行動できるマニピュレーターとして調整された、完全なる肉の器。

ルーセントは「あの時」と同じ、
身軽な闘士装で祭壇に赴いた。
その姿は、ただ一人の戦士に等しい。

そして彼が対峙するものは―――「神」だ。

斜陽の塔を完全にコントロールする、マニピュレーターの完成形。
世界に満ちる全てのタイドを司るもの。

この世界の「裁定(ルール)」そのもの。

太陽の御子と名付けられたその存在は、
晴れやかに笑ってルーセントを迎える。

『―――世界のはじまりによくぞ来た、新世界の理を紡ぐ者。』

あくまで形式通りの、芝居めいた御子の言葉に対して、ルーセントは少し照れ臭そうにしながら、人差し指で鼻の頭をかいた。

「…名前をね。」

『…?』

「キミに、名前をあげようと思って。
 アンジェラさんが考えてくれたんだ、キミの名前。
 気に入ってくれるといいんだけど。」

太陽の御子は微笑みを貼りつけたまま、ルーセントには見えない位置で、拳を握り直す。

『…それはどうも。
 だけど、それを僕に伝える必要はありませんよ。
 貴方の選択は既に知っている。
 僕が名前を賜ったとして、それを必要とする者はいなくなる。
 貴方はこの星から、全てを奪い去ると決めた、そうでしょ?』

この「コロセウム」が始まるよりも前、既に太陽の御子は決していた。
やがて斜陽の塔を勝ち昇った者。
その願いを叶えることが「神の裁定」である、と。

そして彼は、それがルーセントであることも予見していた。
これから叶えられる勝者の願い、それは―――、

『マニピュレーターにとっての正しき目的を果たすこと。
 この塔の機能を正常に再起動して、この星の上に全てを再現する。
 そうですよね。それが「彼女」の「本来の目的」だったのだから。』

始まりの少女。器の姫君。
今やその姿、その在り様を語る者は誰一人としていない、最初の「神」。
異界に産まれ、この塔に積載されていた最初のマニピュレーター。

彼女の願いを叶えるために、ルーセントの自我は産まれた。
だから、今こそ、彼女の願いは叶えられる時がきたのだ。

御子は小さく頷き、両の手を空にかざす。
それを割って、ルーセントが口を挟んだ。

「あ! いや、違うんだ。ごめん。ちょっと変わったんだ。
 僕の願い事は、キミが今言ったことと、少し違うんだ。」

その言葉を聞いて、太陽の御子から表情が消える。
僅かな驚きと、僅かな好奇が、彼の口を薄く開かせた。
同時に、自身の予見が外れたことによる苛立ちもまた、彼の顔に表れた。

「ガウが…ぼくのお兄ちゃんがね、昔言ってたんだ。
 この世界はヒトの、楽しいとか、悲しいとか、そういうものの、先を歩くための場所だって。
 その意味、ぜんぶは分からないんだけど。

 今すぐ、全部無かったことにしちゃうのは…その。
 アンジェラさんがよく言っていた「正しいこと」じゃあないような気がして。

 …あの子のいない世界なんて。
 ぼくにだって必要ない…って、そう思ってた。

 あの子が、この場所を、ぜんぶ真っ白にするために産まれたのなら、
 それをぼくが代わることが、ぼくの「まんなか」にあることなんだと、思ってた。

 けど、時間が…日が、昇ったり、沈んだり。
 それを繰り返してる間に、どうしてか、ぼくはこの世界に必要とされはじめた。
 彼らにとってぼくは、どうやら「絶対ここに居なきゃいけないもの」らしかった。

 庭師のハイネ。道化のザヴィアー。
 ガウと、ぼくの仕事を代わってくれたキャサリン。
 もしかしたら、この塔から産まれた「兵士たち」だって、
 ぼくの命令を必要としていたのかも知れない。
 ぼくにとってのあの子のように、彼らの「まんなか」には、ぼくがいたのかも知れない。

 …そして今、ぼくの「まんなか」には、
 あの子と同じくらい、アンジェラさんがいるんだ。」

ルーセントの足りない言葉を推測で補強しながら、
太陽の御子は、しかし肝心の部分が分からないままでいた。

苛立ちが肌を焼くように感じられた。

彼がルーセントに向けた視線はまるで、炉端で死に絶えた害獣の骸を見るように。
外見の幼さとは乖離した、決定的な侮蔑を含んでいた。

―――このバカは、何を言ってるんだ?

誰も彼もが、「先」を望んでここまで来た筈だ。
そんな誰も彼もを薙ぎ倒して、その命を取り上げて、
その責務と覚悟を負って、僕の前に立った筈だ。
それで今さら、何が「正しいこと」なんだ?

お前にとっての「正しいこと」が、
お前以外にとっての「災い」でしかないことを、
お前はよく知っている筈だろうに。
そうしてお前は、世界の半分を粉々にしたんだろうが。

『…それじゃあ、どうするんですか?
 僕はこの権能を振るうために生まれた。
 それを「しない」ことは出来ない。
 武器を手にした貴方たちが、それを振るわずにいられないのと同じです。
 貴方は僕に、何を願うんですか?』

「キミはさ、その、ぼくの弟か、子供みたいなものだから―――。」

続けようとしたルーセントの足元で、
灼熱の閃光に焼かれた床が溶けて、穴を造る。

限界だった。
これ以上の苛立ちは、自我の保持に支障を来す―――、と、太陽の御子は思った。

そうしてついに、声が出た。
「彼自身」の声が。

『…薄ら寒い。退屈だ、そういうのは。
 誰も彼も、僕の姿形、このサイズで神威を侮る。全くもって哀れだ。
 失望しました。所詮は教団の傀儡。貴方が正しき願いを告げられる筈もない。
 未完成のマニピュレーターが、僕の「創造主(おや)」だと?

 お前はプロトタイプでしかない。愚かな前例だ。
 神の器として造られながら、その責務を果たさず、
 挙句暴走して「誰の願いも叶えられなかった」失敗作に過ぎない!』

自分の声が「叫び」に近しいものになっていると気づいた時、
太陽の御子は、己の胸を焼く違和感に身を震わせた。

彼は、装置であるはずの己を俯瞰する。
痛むはずのない胸を掴み、理外の発汗を伴い、
喉の渇きを感じながら、己のスケールを再計測する。

「聞いて。
 ぼくの「願い」は―――、」

言わせるか、そのような世迷言―――!

太陽の御子が、突如として戦端を開く。
熱情に焦がされた両手が、タイドの奔流を操って爆ぜる。

―――お前は、どうしようもないバカだ。

同じなんですよ、ルーセント。
そのために造られたものが、
その役目を果たせなくなるってことは。

「それ」が、自身を俯瞰する心を持っていた時、
「それ」が思うことは―――!

楽団指揮者のようにして、
両の手を払う御子の動きに呼応して、
「鮮烈な輝き」そのものと化したタイドが祭壇上を駆け抜ける。
それは魔術でも、技術でもない。

タイドそのものを燃やして産み出された「熱」が、
自らの存在理由に則って、
「そのためだけ」に地を焼き払う。

―――そもそもからして、何もかもが勘違いなんだ。
僕以外に、あれが「呪い」であることを知る者はいない。

そうとも。
塔の記録(ログ)を遡ることでしか知り得なかった「呪い」。

「あの子」が無知な貴方の手によって籠の外に出され、
衰弱して死に絶えるまでの間、何を想い、何を為したのか。

己が未完成であることを知り、嘆き、
貴方にそれを救う力がないことを怨み、呪って、

自分の願いが叶わない世界を破壊しようと試みたのは、
「あの子」に他ならないというのに。

タイドは制御を失って暴走したのではない。
絶望した彼女自身が最期に命令したのだ。

地を駆けよ、空を往け。
その尽くを喰らい尽くせ。
我が侭にならぬ天地を鏖殺せよ、と。

その呪いを自らの罪であると勘違いして、
そうして「その願い」を口にするのか。

貴方は僕にこう言うのか。

―――共に死のう、と。

『一人で死ね、ルーセント!
 愚かなる王、神の出来損ない!』

轟音と共に震える大気を切り裂いて、
純白にまで高められた熱閃が跳躍する。
そのいずれもが、太陽の御子の視界を遮るかのように奔り、
世界を編み込むかのように、塔の頂上を切り裂いていく。

『僕から神威を取り上げることは許されない!
 先史人類など関係ない! 現世人類など知ったことか!
 僕は願いを叶える装置だ、そのためにお前の断片から産み出されたんだ!

 それをせぬまま、消えられるか!
 僕は、僕は―――!』

そこまで叫び散らして、太陽の御子は再び自らのスケールを計測する。
俯瞰する心ではない、それは、自らの内側から滲みだしたものだ。

僕は何に怒っている?
ルーセントの愚かさか?
いいや、違う、これは、
自らの思うままにならぬことへの苛立ちだ。

「あの子」と同じ、これではまるで「子供(ガキ)」のような―――、

こうまでして、僕は―――、
ここまで怒り狂うほどに僕は、誰かの願いを「叶えたい」のか…?

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