■太陽の御子 - 05「決着が両者を別つまで 前」

 

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異界に「神」と語られるその概念が、
事実、世界のルールを体現し、司る存在であるのならば。

「神殺し」もまた、異界においては数多く為されたのだろう、と。
ルーセントは回想する。

何故ならば、彼らの攻撃は「挙手投足」を伴わない。

超自然的神威、この場において言うならば「タイドの光」。
それのみに頼り、それのみを振るう敵であるならば。

魔術師のようなもの、あるいは弓士のようなものである。

攻撃は点、線、面の三段しかなく。
射程は近、中、遠の三間しかなく。
意思は見、発、動の三画しかないのだから。

いかな神威を湛えたとしても、それはただの「遠隔攻撃者(レンジアタッカー)」だ。

太陽の御子の振り下ろした左手刀が指す場所。
ルーセントの頭上へと威光が落ちる。
裁定の光。タイドを燃焼させ、取り出したエネルギーを叩きつけるだけの攻撃。
ヒトひとりをこの世から抹消するために必要な火力を、コンパクトにまとめた粗術。

弱点は無数にあった。
ひとつ、その観測がマニピュレーターの感覚によって行われること。
ふたつ、その発動にマニピュレーターの意思決定が必要であること。

弓を番え、引くよりも。
撃鉄を起こし、撃つよりも。
剣を振り上げ、斬るよりも。
短剣を抜き、投じるよりも。
杖を構え、唱えるよりも。
拳を構え、打つよりも、遅い―――、

―――その攻撃が、ルーセントの肉体を捉えられるはずもなく。

天上の太陽から伸びた数多の光が、
時代の転換を祝うように、荘厳な響きを以て、
降り注いで祭壇を埋め尽くす。

塔そのものさえ破壊し兼ねないほどの怒りが、
雲上、ヒトの手の届かぬ場所を薙ぎ払っていく。

それでも、
それさえ、
意に介さぬほどに。

ヒトは強い。

上体を寝かし、跳躍し、半身を捻り、
予知にも似た精度で、尽くを回避する。

間合いを詰め、時に離し、神の意図を混乱させていく。

狙いは徐々に、そして確実に逸れはじめ、
そしてついには、ルーセントが首から上を僅かにずらすだけで、
数センチの隙間を置いて、勝手に外れるほどにまでブレた。

ぐえ、と、間抜けな呻き声を挙げて。
太陽の御子は、突然自分の視界が遮られたことに気づく。

その「壁」から伝わる生ぬるさと、その隙間から覗く「王」の姿から、
彼は、自らの頭部が、ルーセントに鷲掴みにされたのだ、と知り、
そして数秒後の死を予感した。

終わりだ。
僕の終わり。
なんて呆気ない。

ヒトの形を与えられた以上、その尺度でしか動けない。
生まれからして敗北を定められていた僕の、哀れな結末だ。

せめてあと、あと十分。
この「太陽」が起動するまでの時間を稼げていれば。
あと少しだけ冷静に、このバカの戯言に付き合ってやれば。
それで僕は、気づいたはずだった。

僕の殻がヒトであることに。
僕の「ここ」にだって…「願い」があったことに。

僕は見たかった。
キャサリンが約束してくれた光景を。

「あの子」も、ルーセントも、僕も。
何もかもの宿命が、いっそバカバカしくなるほどの結末を。
だから―――、

「―――見届けてほしい。」

ルーセントの言葉と共に、
頭部を固定していた、恐るべき力が失われる。

太陽の御子は突如として自由になり、
そして彼の目の前で、ルーセントは情けない笑顔を見せた。

「ごめん、何がキミを怒らせてしまったのか、わからないんだけど。
 ―――ぼくはキミに、見届けて欲しいんだ。」

『… …?』

「最初は、全部無くなることが「正しい」のかもって思った。

 ぼくはたくさんのヒトに迷惑をかけてしまった。
 彼らはきっと、ぼくがいなくならないことには、誰も「次」に向かえない。
 もしかしたら、いなくなったって、何処にも向かえないヒトがいるかも知れない。」

―――それは階下で殺めた「医者」のこと。

「だからぼくがいなくなって、教団も王国も、タイドも全部なくなったら。
 そしたらヒトは、彼ら自身のために、次のことを始められるのかなって。」

舌足らずに語り続ける、ルーセントの言葉に。
太陽の御子は、静かに耳を傾け続ける。

「ぼくはそれでいいけど。
 多分、ガウもそれでいいって言うけど。
 でもキミは違う。キミはまだ、何もしてない。
 誰もキミを怒らない。だから、キミはここにいてもいい。
 だから、その、これは…お願いがふたつになって、
 ズルをすることになっちゃうんだけど。

 ぼくの願いは、この場所からぼくを消してしまうことで。
 そしてきみに、ぼくのいなくなった世界を見てもらうってことなんだ。」

は、と。
喉を通った大きな息に。
御子は、自分が呼吸を忘れていたことを知る。

頬に汗が伝う。
息が肩を揺らす。

一瞬前まで自らの目の前に立っていた「戦場の死」が、
今、通り過ぎていったことへの安堵と。

それよりも大きな「運命の死」が、
彼の運命から除かれたことに対する困惑が。

御子の全身を戦慄かせていた。
まるでヒトのように。

『僕は…「それ」でいいの?』

言葉は本意だった。
彼自身の責務を全うし、その後に消え去ること。
いわば神の定め。

それが当然である、と知っていたのに。
「ヒトの殻」が彼を恐怖させていた。

キャサリンの教えてくれた喜が。
アンジェラの教えてくれた怒が。
ルーセントの教えてくれた哀が。
ザヴィアーの教えてくれた楽が。

そして、ハイネが教えてくれた「命の大切さ」…それが、
失われることが、たまらなく恐ろしかった。

『…僕に、嘘をつくなよ、ルーセント、絶対に。』

「嘘じゃないよ。
 キミはその、普通のヒト…ではないけれど。
 ぼくより頭がいいから、きっと上手くいくと思う。

 あ、それと。
 ザヴィアーにね、上手くやってくれるよう、お願いしておいたから。
 ザヴィアーとミルミルはね、ずっとキミの友達でいてくれるって。」

『…じゃあ、も、もう…』

太陽の御子の瞳。
艶やかな陽光に似ている、と。
アンジェラが褒めたその瞳に、
今たっぷりの涙が溜められ、
そして零れると同時に。

―――神様、やめていいの?

その言葉が喉を通ろうとした刹那、
飛来した投刃が太陽の御子の額を刺し、
その薄皮が破れ、一筋の血が滴り落ちる。

ルーセントが「それ」を掴んでいなければ、
太陽の御子の命は、失意の中で永遠に喪われていただろう。

振り返ったルーセント―――否、

「傀儡王」の姿は、
「タイドの悪魔」と形容される程の威を以て、
その乱入者へと向けられた。

「あなた、こういうことはしなさそうだなって、思っていたんですけど。」

刺すようなその言葉の先で、
「それ」は大きく、本当に大きくため息をついた。

確かにルーセントの言う通り。
彼は「闇討ち」…などとは、無縁の性格だ。

しかし、彼とルーセントは、共に「王」の資格を有する者同士でありながら。
決定的に異なる点がひとつだけあった。

それは時間だ。

ルーセントが顔も知らぬ人々の願いを想像できるようになるまでに数年。

一方で「彼」は、既に百年を過ぎる歳月をこの世界で生き、
そして人々の願いを間近で見続けた。

故に「彼」は、その責務によって、
大罪人である傀儡王を誅し、そして次代百年のヒトを縛る「神」を殺める必要があった。
そのためには、自身の信念を曲げる必要さえあったのだ、ということを、
ルーセントは未だ、理解するには至らない。

そして「彼」もまた、太陽の御子が既に神威を手放し、
ヒトとして生きること望んでいるという事実を知らない。
知ったとして、それを信用することは難しいだろう。

太陽の御子とルーセント、その関係がヒトの真似事であったとしても。
二人の間に流れてきた、幾分かの「時間」は真実だった。

しかし「彼」と、この哀れな幼子との間には、
そんな「時間」は一秒としてなかったのだから。

故にその凶行を。
傀儡王は許さない。

故にその生存を。
ヒトの王は許さない。

天上の太陽は威力を増し、
塔の最上部には溶解するほどの熱風が逆巻く。

その中を、二人の王が歩き、距離を詰める。
戦士の間合い。

五年前、あのコロセウムで行われた最初の戦い。
それを再現するかのように。

無垢なる未来を守る者、傀儡王ルーセント。
ヒトの復讐を代行する者、戦狼王テレンス。

斜陽の塔における、最後の戦いが始まった。