■太陽の御子 - 06「決着が両者を別つまで 後」

 

その色は「陽光」によく似ていた。

6段階に分別されるタイドの「濃度」。
この斜陽の塔において、それは既に計測不能なものへと変じていた。
その証左として、通常三色の輝きを放つ筈のタイドは、
今一色の「陽」と化して、祭壇を駆け巡っている。

通常のヒトであれば、如何にタイドに愛された者であれ、
この場所で数秒と呼吸を持続することはできない。

何せ全てのタイドが燃えている。
吸い込む大気でさえ、肺を焦がす程に熱かった。

この場所に立つことを許された者は、マニピュレーターでなければ、あるいは、
この焦熱ですらダメージにならないほどに「壮健」な者、だけだろう。

ならば彼にはその資格がある。
今この場所で、殺意の代行者となって傀儡王に挑む者。

その獣毛、一本一本の先にまで。
赤黒い、暴力的なタイドが満ちていた。

あらゆる武器が燃えていく。
鉄でさえ熔け解れて落ちていく。
そのような戦場で、人狼テレンスが用いた戦闘術は、
これまで彼と相対してきた誰もが、見たことのない殺法。

「体術」だった。

戦場における「術理」とは。
劣る者が、勝る者に迫るための方法である。
テレンスの尊ぶ「戦士」とは、その「術理」を用いて強者へと挑む者を指す。

―――聖女アンジェラ、彼女の資質は素晴らしかった。
天性の技術、タイドが授けた「殺人史」の全て。
それを操る肉体の天性もまた無類であり、それを従える精神の狡猾さは極まっていた。
そして何より、「暴力」に絶対的な信頼を置き、万能の手法だと信じていたこと。
彼女こそ、まさに「至高の殺人鬼」だった。

―――庭師のハイネ、彼も記憶に鮮烈だ。
自らの特性を活かす武器を選び、その熟達に努め、あらゆる搦め手を習熟し、
そして、自身が「世界で最弱の生き物である」と疑わないその気性。
常に「挑む者」としての備えを持ち、矜持を抱き、そして生き残ることを諦めないもの。
彼こそ、まさに「究極の獣」だった。

どちらも優秀な戦士だった。
この「嵐(わたし)」を前にして、決然たる覚悟で、臆することなく、
磨き上げた術理を叩きつけてきた。
私は彼らを忘れない。

そうして、今。
そうだ。
五年前もそう。十年前も。二十年前も。
百年前から、ずっと、ずっと、ずっと。

ずっと続く「淘汰(たたかい)」の果てに。

私の前に立つ貴方こそ。「そう」なのですね。
私が追い求めてきた「答え」なのですね。

ルーセント、貴方こそ。

===

五年前、あの「コロセウム」の砂地で、この人狼の瞳に宿る炎を最初に見た時。
「こういうものがいるんだ」と、興味深く感じたことを、ルーセントは覚えている。

この怪物は戦いの中に身を置いて、
何年と、何十年と、何百年と、戦い続け―――、

そしてどの地点で、

「狂ってしまったんだろう」

というようなことを、ルーセントは考えた。

まるで芯のない、手心を加えるばかりの戦法。
自分の腕よりも細い剣や槍を振るい、
自分の脚よりも柔らかい斧や棒を用い、
自分の暴力よりも、遥かに「なまくら」な術理を操り。

何を見ようとしているのか。
何を得ようとしているのか。

「ヒトの複雑さ」がそこにあるのだとしたら、
到底理解できるものではない、と。

当時のルーセントは感じたが、しかし、
結局のところあれからずっと、
この怪物を越える「理解不能」なものは、彼の前に現れることはなかった。

だからきっと、世界でいちばん狂っているのは、
恐らく「これ」なのだろう。

ルーセントはそう結論し、以降、彼を理解することを諦めた。

人狼ではない。ただの狂犬だ。
ヒトの要素など、どこにもない。

「これ」は只、戦場の術理に魅了されて気を違えた、
災いのようなものに過ぎないのだろう、と。

===

柔らかに握られた二指拳が、正中線を駆け上がるようにして人狼に撃ち込まれる。
打点は四、そのいずれも、ヒトの生体龍脈、神経回路を司る要点である。

だが当然、それが有効打であるなどと、ルーセントは考えていない。
針金のような獣毛、金属よりも硬く、鎧よりも分厚い皮膚。
そもそも、この人狼が「外傷」というものを負うためには、
特別鋭利な刃先か、あるいは力が一点に集中した矛先が必要だ。

故に、ルーセントの拳打の意図は別にあった。

だがテレンスはその拳を受けるや否や、傷も痛みもないままに、前のめりになった。
がぱ、と音を経てて開かれた狼のアギト、その犬歯に引いた唾液が蒸発する。
そうして、それが「笑っている」のだと気づかれるまでの合間に、

振り下ろされた握り拳、返す爪による裂閃、
地から跳ね上げられるように繰り出された縦の蹴撃とその往復、
背を向けると同時に、横脇から繰り出された、鉄肘による一撃、
から左の裏拳、右の爪撃、もう一度左の裏拳、鋭利な牙による噛みつき、
そして死角から放銃された音速の前蹴り―――を、

全て捌き、ルーセントは戦慄する。

強い、とか。
弱い、とか。
そういう話ではなく。

彼は「総て」なのだと知った。

この星の上で積み上げられてきた、あらゆる戦闘技術の粋。
あらゆる「殺し方」の結晶。

「世界最強の武術家」ではなく、
彼は、この星の「闘争の歴史そのもの」なのだ、と。

だから震えた。
あるいは、彼と同じように。
―――笑った。

体格の差、視界の差を利用して、
ルーセントの掌打は死角の急所へと投げ込まれる。

それを直感して防御を試みた獣腕の袖が、その体毛を巻き込むようにして「握り引かれ」て、巨獣の体躯が宙に舞う。

宙空で眼を見開いた人狼の視界に飛び込んできたものは、
小さな握り拳だ。
天から地へ、直上から直下へと。
足場を失って回転するテレンスの眼球そのものに、
ルーセントの拳が突き刺さり、そのまま床ごと貫き倒す。

人狼が、自重によって崩された体勢を取り戻すまでの一秒間、
倒れ伏した彼の顔面に撃ち込まれた拳の総数は四発、
そして五発目の拳を噛み砕こうとした人狼の顔面が、
横合いから激烈な勢いで蹴り飛ばされる。

まるで舞うようにして振るわれる暴力。
あまりの愉悦にテレンスは、身を翻しながら歓喜の嬌声を挙げた。

―――ああ、ルーセント。
今となっては、この星の未来などどうでもいい。
教えてください、私に。

貴方(人)と私(ヒト)、
その間にはどれほどの差があるのかを―――!

恐らくは誰にも聞かせたことのないであろう声色。
魔獣の如き、深く、甲高い歪な鳴き声を挙げ、餓狼が狂奔の殺意を放つ。
その叫びに対し、後転して間合いを取るルーセント。
だがその刹那、彼我の距離、およそ5メートルの間を、
人狼は「不動のまま」―――、跳んだ。

深く腰を落とし、拳を弓のように弾き絞り、
膂力だけを地に叩きつけ、その反動で自らの肉体を宙へ、敵の下へ。
一発の弾丸のように化して襲い掛かるその手法は、
数刻前、彼がアンジェラとの戦いの中で学んだものだった。

ルーセントの後転、その僅かな「接地際」にある「体勢のロス」を狙い澄ました弾丸。

それは見事にルーセントの胸郭、その中枢へと吸い込まれ、
そして同時に、その背後へと抜け去った。
確かに命中した正拳の手応えと、それでも仕損じたと感じられる手応えを同時に味わいながら、テレンスは喀血して宙に浮いた。

今、術理が人狼を駆逐する。

撃ち込まれた拳は、テレンスのものだ。
撃ち込まれた力も、テレンスのものである。

ただし、それはルーセントの拳を介して、
テレンスの心臓へと撃ち込まれていた。

タイドが世界を循環するように、
その「暴力」は、ルーセントという回路(サーキット)を無駄なく巡り、
その拳を通じ、人狼自身に跳ね返されたのだ。

それは力も、素早さも、賢ささえ必要としない。
柔らかな殺人拳だった。

―――なんという技術、
なんという研鑽―――!

これが―――ッ!!

跳ね返された自身の膂力によって、
宙空に固定されたかのようにのけ反る人狼の、
全身を駆け巡る衝撃が未だ落ち着く場所を持たないままに、

ルーセントが拳を引く、
腰を落とし、狙いを澄まし、
地を蹴り、全身を回路と化し、

槍の矛先にも匹敵する「点」を、
弾丸の軌跡にも匹敵する「線」を、
描いて人狼の心臓を、もう一度撃ち据える。

―――これが、異界の武。

成程、確かに「我々」は浅い。
数百年、戦いを繰り返した程度では、
このような境地には、決して、決して―――。

人狼テレンスが「この星における闘争の化身」だと知った時、
ルーセントが笑った理由は、何も恐怖からではない。

彼が「自分と同じ」であることを、皮肉のように思ったからだ。

未完成のマニピュレーター。月蝕の王子。
あらゆるタイドを喰らい、奪い去る者。

戦えば、戦うほどに。
タイドは際限なく、ルーセントに集積されていった。

それはつまり「異界史」とでも呼ぶべき巨大な書物のページが、
1枚、2枚と復元されていくようなものだった。

そして、こと戦闘に関して言うならば、その集積は既に「終わって」おり、
即ち、ルーセントと戦うことは「彼らの歴史」と戦うに等しいことだった。

この星のヒト史、僅かに数百と余年。
一方でルーセントが保有する「人類史」…その正確な長さを知る者はいないが、
それでも、しかし「彼ら」が研鑽した戦略、戦術、戦法は、
このちっぽけな星の歴史など「指一本」で吹き飛ばすほどの輝きを持っている。

そしてその通り、ルーセントの人差し指は、
人狼の中枢、ヒトの眼では判別できぬ、その「流れ」の終点へと撃ち込まれた。

人狼を不死者たらしめていた「赤き神威」が、
今、最後の一片までも、月蝕の王に簒奪される。

痛みとは熱さであること。
敗北とは甘露であること。
強さとは尊厳であること。

そして、死とは恐怖であることを思い出し、人狼は爆ぜた。

砂上の楼閣に投じられた石のように。
立ち合いの中で幾度となく撃ち込まれた「楔」が、
共鳴して彼の肉体を破壊した。

数百年の時を生き、戦争の中にその身を置き、
戦いに魅せられ、それ以外の全てを、戦い続けることに利用し、
一方でヒトとして、この星に住まう人々の代表者として、
悪しき月蝕の魔王に挑んだ英雄―――、

「戦士たちの主、テリー」は死んだ。

その亡骸は、まるで「ヒトのそれ」であるようにして、
祭壇に吹き荒ぶ熱風に、焼き尽くされていった。

僅か一分にも満たない拳檄。
しかしそれは、正真正銘の決戦だった。

この地に栄えた「ヒト」の術理と、
この地を求めた「人」の術理。

結果は、紛れもなく人の勝ち。

ヒトは未だ若く、自らの未来をその手で勝ち取るには至らなかった。
彼らは、その上位者である「人」の恩赦により、未来を与えられることになる。

ルーセントは、最期の瞬間まで共感するに至らなかった、
その「狂える獣王」の骸に背を向ける。

そしてその胸中には、底知れぬ感謝があった。

武の究竟を求める「獣」。それは人間性に劣るという意味ではない。
恐らくこの星に住むヒトの全ては、未だ獣に過ぎないのだ。

未知があるから知ろうとする。
空があるから昇ろうとする。

そんな原始的欲求が、形を取ったものに過ぎないのだ。
だから―――そう、ルーセントは「相応しい」と思った。

彼が挑んできてくれて良かった、と、そう思った。
彼こそは間違いなく「無知なる獣(ヒト)の王」であるのだから。

彼を殺し、そうしてやっと「残り半分」を背負えると感じた。
獣血に塗れたこの両手によって―――、

戦いの始終を見守っていた太陽の御子が、
何処からか姿を現し、そして口を開く。

「…ルーセント、もう時間がない。
 僕の権能を使うよ。さあ、願いを言って。」

―――ああ、そうだとも。
ぼくと同じだ。ヒトは幼い。
未だ答えを出すことはできない。

だからきみたちに「猶予」を与えよう―――。